最近の日曜日の夕方の楽しみはbayFMの「ビートルズから始まる」を聴くことである。

パーソナリティは小林克也が務めており、ビートルズに関する様々な情報が取り扱われる。イントロの「ビートルズ・カレンダー」では放送日に起きたビートルズの様々な出来事を紹介しているのだが、よくもまぁここまで記録があるものだなと感心してしまうくらい毎週様々な出来事が紹介されている。

私のお気に入りのコーナーは、「カレンダー」の後に20分ほど続く、ブライアン・エプスタインの話だ。リヴァプールにおいてビートルズを発掘し、後にアップルの総支配人となるマネジャーである。「地下室いっぱいの騒音」と揶揄されたビートルズの音楽を見出し、メジャーデビューのために奔走する話は非常に面白い。

このエプスタインのコーナーで、デッカ・レコードのオーディションに落とされるという話が出てくる。ビートルズを落としたディック・ローは「ロック史上、最も使えないプロデューサー」の汚名を着せられることになった。

ビートルズ黎明期に生きて、ビートルズを「音楽史を変える存在」と位置づけられた人は少数派だろう。エプスタインはビートルズという「新しい価値」を世の中に受け入れられる素地を作った点で確かに偉大だ。しかし、エプスタインの判断が正しくて、ローの判断が間違っていたというのは結果論でしかないように思える。

ほぼ同時期にデッカ・レコードからローリング・ストーンズがデビューしているという事実や、この時ビートルズを落としたローが採用したバンドが全英ヒット・チャートをにぎわす存在であったことを考えると彼が「ロック史上、最も使えないプロデューサー」であったとする意見はあまり説得力を持たないだろう。

ビートルズには幸いにしてブライアン・エプスタインという敏腕マネジャーが存在していた。彼が奔走したことで、ビートルズが世に出て、音楽史を変えていったという点は見逃せない。しかし、同時にエプスタインのようなマネジャーに出会うことなく消えていったバンド、言うなれば「ビートルズになれなかったビートルズ」のようなバンドも少なからず存在するだろう。

世の中に「新しい価値」が出現するとき、自分を含めた多くの人はディック・ロー的なのかもしれない。ブライアン・エプスタインのように「新しい価値」を見出す、ある種の「審美眼」というものを身につけたいものである。

ビートルズは好きだけど、自分自身がビートルズ・フリークだとは全く思っていない。もしビートルズ・フリークだとしても、私が生まれた1981年はビートルズの価値が既に確立していた年である。ちなみに私が生まれる2ヶ月ほど前に、ジョン・レノンがニューヨークで殺害されている。

既に評価が確立したビートルズについて語っても、そこに真新しさはないように思える。私がビートルズについて語ったところで、「同時代性の欠如」は否定できないだろう。

中学、高校時代に聴きまくり、歌いまくった尾崎豊と比べれば、30歳を過ぎた今の今までビートルズを聴きまくったり、歌いまくったりということはしてこなかったと思う。ただ、自分の人生の節目節目でビートルズの曲があったという点は否定できない。

私が初めてビートルズの曲に触れたのは4歳の時のピアノの発表会で「オブラディ・オブラダ」を弾いた時までさかのぼる。この時弾いた「オブラディ・オブラダ」がビートルズの曲であるということは知る由もなかった。

初めてビートルズの曲をビートルズの曲と認識して聴いたのは小学校6年生の時だろう。当時受講していた進研ゼミの「中学準備講座」の付録"English Jet Coaster"というCD教材に"Yesterday"が所収されていた。このCD教材のDJを務めていたのが、冒頭で紹介した「ビートルズから始まる」のパーソナリティの小林克也である。

小林克也が「ビートルズから始まる」の中でも度々指摘している通り、日本の英語教育におけるビートルズの貢献度はかなり高い。上述の進研ゼミの英語教材のみならず、中学校の英語の授業でもビートルズの曲は頻繁に流された。

英語教諭がうるさ型の生活指導教諭であったことを考えると、私たちの世代にとっては、ビートルズは「うるさ型の大人にも受け入れられたロック」であった。1960年代初頭のビートルズへの一般的評価と比べると、エスタブリッシュメントにも受け入れられる音楽となっていたのだ。

「生活指導教諭公認の音楽ともなれば、文化祭などで演奏しても問題にはならない」。そんな高度な打算があったかどうかはわからないが、生徒会活動の一環として文化祭などでも演奏した。"Hey Jude"、"Let it be"、"Please, please me"という選曲は、今考えると当たり障りのないものだったとも思う。

高校入学直後は当時未公開曲だった"Free as a bird"が所収されたアルバム"Anthology"をよく聴いていた。音楽というものは自分の記憶の中にある映像と結びつくのか、このアルバムを聴くと今でも入間PePeを思い出す。学校に全く馴染むことができずふて腐れた高校3年間を送っていた私にとって、ウォークマンは欠かせなかった。

高校3年の冬、大学受験の時には青盤をよく聴いていた記憶がある。当時流れていた発泡酒のCMで"All you need is love"が使用されていたからだろう、青盤の中でもこの曲が所収された1枚目をよく聴いていたのだと思う。

だから、青盤の1曲目の"Strawberry Fields Forever"を聴くと、大学受験に失敗したときのことを思い出す。この曲を聴くと、寒い冬の日にマルメンライトを吸いながらという映像が頭の中から離れない…。

青盤と私について語るうえで絶対に外せないエピソードが写真のメモであろう。今でも青盤の歌詞カードの中にこのメモを挟んで残してある。当時好きだった女の子に貸した青盤が帰ってきた時に挟まれていた思い出のメモである。

$My own Conscience

彼女が好きだと言った「3曲目」とは"Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band"であり、小林克也の「ビートルズから始まる」ではエンディングとして用いられている。毎回エンディングで流れる度に彼女のことを思い出すのだ。

ビートルズそのものではないけど、ジョン・レノンの曲にまつわるエピソードもある。このエピソードは書き出すと本当にとまらなくなりそうなので今回は書くのをやめておくが…。

ひとつだけ言えるのは、ビートルズの曲もレノンの曲も私の人生には欠かせないものであったということだ。ビートルズ以外にも尾崎豊、Judy & Mary、YUKI、Nina、サザンオールスターズなどの曲が欠かせない。なぜ欠かせないか?それは自分の人生において特に重要な出来事と関係しているからなのだと思う。

人生の中で聴くことのできる音楽はきっと限られていて、その中で特に重要な意味を持つ音楽というのはそう多くはないだろう。私にとってビートルズは重要な意味を持つ音楽のひとつなのだ。

最後にひとつ、ビートルズにまつわる嘘のような本当の話を紹介しておこう。それは「ビートルズの曲を流しているラーメン屋さんは例外なく美味しい」というものだ。主観的なものかと思いきや、この意見に賛同する人は意外と少なくない。