ヨハネス・グーテンベルクが活版印刷技術の改良を行ったことが知識の量産化と普及という革命をもたらしたのと同様、これまでの携帯電話からスマートフォンへの進化はいつでもどこでも視聴覚情報にアクセスできるという革命をさらに加速した。

スマートフォンは携帯電話、パソコン、手帳、新聞、雑誌、書籍、といったビジネス鞄に入っているもののみならず音楽プレイヤーやテレビ、DVDプレイヤーといった家の中にある視聴覚機器に至るまでをひとつにまとめてしまった。少なくとも電源と電波さえあれば、手のひらに収まる端末ひとつで自分がほしいと思う様々な視聴覚情報をアップデートし、それをいつでもどこでも自由に利用することができるようになったのである。

このことは人間が細切れの時間でさえも情報収集を確実に行い、知識を高められる可能性を生み出したことを意味している。学校や図書館、あるいは自宅の書斎に行かなければこれまで得ることができなかった多くの知識が手のひらの中にある端末で、指1本で完結するようになった。つまり、やや大げさな言い方をすれば、知識を得るための時間と空間、コストが大幅に圧縮されたと言い換えることもできるだろう。

幼い頃に両親からよく言われたのは、「わからないことがあったら百科事典で調べなさい」ということであった。聞き分けの良かった(?)私は言われるままに、わからないことがあれば父の書斎にあった平凡社の百科事典をよく調べたものであった。小学生の頃からこれを始め、大学に入学してインターネットを使うようになるまでの10年くらいはこれを励行していたと言って良いだろう。

大学に入学してインターネットを使うようになってからはまず検索エンジンを使うようになり、ウィキペディアが登場して以後は専らこれを多用するようになった。オフラインにおいても電子辞書に搭載された百科事典を多用するようになった。そのため父の書斎にあった平凡社百科事典は、大学入学以後、もしかするとこの10年間で一度も手にしていないかもしれない。それだけ検索エンジンやウィキペディア、電子辞書というものを重宝してきたとも言える。ちなみに学生時代から今にいたるまで、暇つぶしの癖はウィキペディアや電子辞書搭載の百科事典を読むことである。

スマートフォンの登場が常時オンラインという状況を生み出したこともあり、オフラインで第活躍していた電子辞書もどうやらその役目を終えてしまいそうである。幼い頃は図書館や父の書斎に行かなければ読めなかった百科事典が、学生時代はオンライン環境にあるか電子辞書を携帯していれば調べられるようになり、今はスマートフォンさえ持っていればいつでもどこでも百科事典を調べられるようになった。正しく知識を得るための時間と空間、コストが大幅に圧縮されたのである。

このことは百科事典以外にも当てはまる。学生時代から読み続けている日経新聞は、日経電子版に加入していれば新聞紙を持ち歩かなくとも過去1週間分の記事を購読することができ、日経テレコン21に加入していれば過去のほぼすべての記事を瞬時に検索し、購読することができる。日経電子版も日経テレコン21も有料のサービスであるため金銭コストはかかってしまうが、時間と空間、労力コストは大幅に圧縮されている。アプリを利用すれば国内の主要紙はもちろん、海外の主要紙まで瞬時に検索して購読できるということはスマートフォンの大いなる強みと考えて良いだろう。

要するにスマートフォンは公開されている政府の公文書から猥褻なゲームソフトにいたるまで、オンライン上にある無数の視聴覚情報を瞬時に検索し、閲覧することを可能にしている。このことが我々の情報収集能力を飛躍的に高めているというのは疑いようのない事実なのである。

しかしながら無数の情報が溢れているということは、同時にその無数の情報の中には真実もあれば虚偽も存在し、善意に満ちたものもあれば悪意に満ちたものも存在するという点は忘れるべきではないだろう。携帯電話会社のフィルタリング・サービスや中国の金盾工程のような検閲システムを別とすれば、何が真実であり、何が虚偽であるのか、あるいは何が善意に満ちたものであるのか、何が悪意に満ちたものであるのかまでをスマートフォンが選別してくれるわけではない。

要するに情報の真偽や善悪の判断については、太古からそうであるように情報受信者が自らの良心や知性といった極めて情緒的なものに基づいて判断をするしかないのである。そういう意味では、情報収集能力に長けているSmartphoneは、使い方によってはWisephoneにも、Intelligentphoneにも進化する可能性がある。逆にCleverphoneにもStupidphoneにも成り下がる可能性も孕んでいる。

短時間で、場所を問わず、低コストで膨大な情報や知識を得られることは「考えること」からの解放ではない。短時間で、場所を問わず、低コストで膨大な情報や知識を得られることで、「考えること」に時間とコストをかけなければならないのかもしれない。

IBMの創業者であるトーマス・ワトソン・シニアが口癖としていたとされる"Think ! "は面倒な計算の自動化と高速化を目指したコンピューターが進化したとしても、人間が決してやめてはならない最も大切なことを言い表していたのではないだろうか。スマートフォンのユーザーになったのを機に、改めて自分の頭を使って考えることの重要性を再び考えてみた。