爽やかな風の舞った一日だった。
生まれ月に近く、この季節は本当は大好きだった。

だった…
この過去形の意味するものはただ一つ。

花粉症の発症以来、あまり好きではない季節になった。
躍動を感じる季節の中で、鼻水の動きも活発化する。

胸一杯に空気を吸い込みたいのだが、
鼻からは吸えない。

症状が進んだせいか、花粉の多いとしなんかだと、
口から息を吸っても喉と鼻腔の境目が痛痒く感じる。

5月に入り、もう終戦のはずだった。
ところが、今日はクシャミと鼻水が戻ってきた。

午後に入り、目の周りも痒い。
風邪など引く要素がないので、間違いなくアレルギーだ。

新たなる敵の出現を感じている。
杉とハウスダストだけでも手を焼いているのに…

今度は一体何者だ?

青き10代の頃のように『かかってこいっ!』とは言えない。
『(花粉の)かからない土地に行きたい…』

これが本音である。

世に存在するものは全て、
時間の経過と共に衰え、劣化していく。

生き物も然り、物も然りである。

薔薇の蕾を見れば開花は未だかと指折り数え、
美しい花を咲かせた姿を見れば永久に美しくあれと願う。

だが、時は残酷に刻まれて、花は萎み枯れ落ちる。

若く美しかった君も齢を重ねて表面上の輝きはくすむ。
良い時間を刻めば、内面はより輝きを増しているのだが…

生物の中にあって、精神を認識している人間は特異な存在だ。
外見は衰えても、内面の輝きを増す事はできる。

木漏れ日のような優しい光を表に出せるようになる。
その真逆で、ドブ川のような腐臭を出すことだってある。

結局、怖いのは心の劣化なのだ。
心が劣化すると、死の間際まで腐臭を出す存在になりかねない。

幾つになっても、新鮮に驚ける心を持ちたい。
素敵なことは、素敵だと素直に言える心を持ちたい。
GW後半は不幸中の幸いで出掛けなくて済んでいる。

本当ならば、東名高速の大渋滞に巻き込まれ、
眠気と肩凝りと格闘しているはずだった。

体調不良になった娘と取り残されているが、
三食の用意とか、その他、色々と面倒をみてやっていると、
まだ年端もいかなかった幼児の頃を思い出した。

ただ、あの頃は二人きりでも、ほのぼの会話があったものだが、
思春期ともなれば、会話が無いのも仕方が無い。

会社の同僚に、旅行中止で娘と二人で居残りと話したら、
『嫌だ』と言葉や表情に出したりしてませんか? と問われた。

それが不思議と無い。

中学生の頃は、結構な嫌われっぷりだったのだが、
受験を経て、高校に進学して、何か考えることでもあったのだろうか。

料理はそこそこできると自負しているが、
作る物は文句を言わずに食べてくれている。

明日は、午前中だけお互いがフリーになる時間を設けた。
友達と出掛けるにも、友達も旅行に出かけていて残っていないようだ。

お互い、少しだけ羽を伸ばそうと思う。
無駄遣いだけはしないようにしないとな…
久しぶりに社用で出張に出掛けた。

GW前半を潰してのものであり、代休も取れずヘトヘトになったが、
久しぶりってだけで楽しかった。

営業の仕事をしている時は、出張での移動ばかりだった。
新幹線の乗継ぎに、飛行機の往復なんて日常茶飯事。

たった5年と思っていたが、5年も経過したのだ。

その後も、ちょっとした出張はあったが、
飛行機に乗るほどの遠方に出してもらうことはなかった。

博多はとても暖かかった。
実に、5年半ぶりだった。

色々と書き綴りたい物語はああったけれども、
やっぱり、恥をかいたことこそがふさわしい。

行きは関西での業務遂行を経由したため新幹線での移動だった。
帰りは、ギリギリまで止まり短時間で戻るために飛行機を利用。

飛行機に乗ったのも4年ぶりってところである。
発券方法が、『スマートイン』ってのに変わっていた。

携帯にバーコードを入れるのが一番シンプルだったが、
電子機器に対して絶対的な信頼を置いていない自分は紙チケットを求めた。

最初の躓きはゲートインの時だった。
手荷物検査の係の人に、何かを言われたが外国人並みに聞き取れなかった。

正確には、日本語は理解できたが、
言われた内容が何を指すのか理解できなかった。

バーコードをかざすだけの事だと後から理解したのだが、
検査係員の表情を、皆さんに見せてあげたかった。

言語を理解しない宇宙人にでも遭遇した時に見せるような顔だった。

今ウラシマ物語は、このゲートインだけでは終わらなかった。
飛行機に乗り込む際にも、長蛇の列の途中で赤ランプを灯す失態ぶり。

バーコードをかざすだけの事だったが、何やら、チケットを2枚渡されて、
その違いに気づいていなかったのだ。

ANAのGHさんに『すみません』と謝られてしまい、
『…こちらこそ』って感じになった。

こうなるともう、田舎から出てきたおじいちゃんの風情だ。
まだ中年だし、外観からは若い方だと言われているのに…

到着した羽田でも、昔とは違う点に気付いた。
手荷物を受け取ったら、もう、そのまま出れる仕組みに変わっていた。

これは人件費削減の目的と、荷物に対する責任は持ち主に! 
の姿勢が表に出されたものだった。

半券を出して、手荷物検査を受けるって手続きが無い分早く退出できるが、
ちょっと戸惑ってしまった。

次回は、現代人に戻って出張に出掛けられる。
恥をかくのは一瞬であり、一度恥ずかしい思いをしたら忘れない。

慣れれば、格段に手続きが少なくて早いのには違いない。
自分より年配のお年寄りにとっては、付き添いでもいなければ大変だろうが…

世の中の変化の流れは、かくも早く速いものである。


誰だっていつかは死が訪れる。

子供を産んだ女性、或いは傍で立ち会った男性なら分かるだろうが、
産まれ出る赤ちゃんだって命がけなのだ。

母親は筆舌に尽し難い苦痛を味わって出産するに至るが、
赤ちゃんは、その小さい体に宿した命を精一杯の力で外界へ押し出す。

この命がけの生から、死へのカウントダウンは始まっている。
子供達の顔を見ていて思う事はただ一つ。

無事に大きく育て。
そして、俺より先には決して死ぬな。

親の望みってのは案外少ないものだ。
健全に子育てをしていれば、子供を投資先だなどとは思わない。

子孫を残してくれる宝としてならば、
親より先に逝かないことこそが、もっとも尊い親孝行だろう。

不思議だ。家庭を持ち、子供を育てるまではこんな感覚など無かった。
経験しなければ分からぬことはたくさんある。

死んだ父親も、時折、こんな事を想っていたのだろうか…
俺も、母親より先に逝くわけにはいかない。

こうした道理を知るに至ったのだから。
順繰り送りを、せめて美しくしてあげたい。
朝の陽射しがカーテンから漏れ射し込んだせいだろうか、
目覚ましも無いのに午前6時前に目が覚めた。

何気なしにTVのリモコンに手を伸ばして、
スイッチをオンにした。

寝惚けた頭でも、ニュースを見たい欲求があった。
狂った隣国の動向を知りたかっただけだった。

そこに飛び込んできた一報は、淡路島で震度6弱の地震発生。
驚いて、掛け布団を跳ね除け飛び起きた。

震源地と言い、早朝の時間帯と言い、あの阪神大震災が頭を過ったからだ。

真冬の早朝だった、あの日の朝とは異なり外は明るい。
それに、僕は淡路島にはいない。

それでも、頭の中で確実にフラッシュバックがあった。
そこから思考が、遠心分離機の動きのように高速回転を始めた。

神戸地区は大丈夫なのか? 
朝御飯を作る時間帯だが火事はおきていないか?
被害状況はどうか?
政府や関係機関の動きは迅速か?

現地と電話がつながったと報道されていたが、
質問を含めた、そのやりとりが曖昧でもどかしい。

暫しニュースにくぎ付けになったが、自分の緊張状況を解いた。
入ってくるニュースに深刻度合が無いと分かったからだった。

阪神大震災の時は、まさに震源地にいたので情報から遮断されてしまった。
直近の東日本大震災の時は、続く被害状況の報道に言葉を失った。

今回も固唾を飲んで見守ったが、思ったよりも被害は少なさそうで安心した。

もちろん、現地にいた人は怖かっただろう。
特に、あの時の地震を経験した人には、えも言われぬ恐怖心があったはずだ。

目に見えない被害が少なかれと願いつつ、
深呼吸をして緊張状態を解いて欲しいと思っている。

大事では無くて、ひとまずは良かった。




風邪との戦いに勝利して、食欲は取り戻している。
それでも、いつものような決断力が無い。

今日はアレ。明日はアレ。お昼だからガッツリ大盛り!
これが私のスタイルだった。

もっとも昼に限定してのことであり、夜は量を食べないと決めている。
しかし、昼も夜と同じような感覚になってしまっている。

勤務地が銀座だから、食べるお店に苦労などない。
でも、『これ食べたい!』って欲がフツフツとは湧いてこない。

カラアゲ食べ放題って焼き鳥チェーン店の前をスルリと通過。
その近くの牛タン専門店も、何となくスルー。

その少し先にある路地裏の蕎麦屋にした。
ひっそり感に惹かれただけで、特に蕎麦が食べたいわけでも無かった。

昼にざる蕎麦を頼む時は、大ざるって決めているし、
蒸篭であれば2枚って決めているが、普通盛りのざる一枚。

それで夕方まで十分持ったし、お腹の虫も鳴らなかった。
3日間も断食すれば胃袋もサイズダウンするらしい。

よし、明日は体が弱った時に必ず行っている焼き鳥屋にするぞ!
そこで焼き鳥重を食べると決めた。

そこは黙ってても大盛りを出してくれるから、胃袋の大きさを測る。
それは回復具合の測定でもあるのだ。
金曜日を病欠したため三連休。
病気で床についていたのだから、楽しくもなんともなかった。

それでも、仕事を確実に休んでしまった。

毎週、土日の連休明けでも忙しい。
小売りの現場は、寧ろ土日は稼ぎ時で騒々しい。

そうなると、付随する仕事も増えて当然である。

バックオフィスと呼ばれる本社勤務の自分にも、
その仕事の波は押し寄せてくる。

金曜日一日を病欠すると、それだけ返す波も大きくなる。
しかも、体調は万全ではない…

腹ごしらえだけはキチンとしておこう。
そう考えて、良いタイミングでランチに出た。

そこでだ…何を食べるべきか迷いに迷った。

麺類が続いていたし、御飯類も油を多く使った料理はちょっと…
中華はダメだぜ、焼き肉はまだ早い。

だったら何だよ!食べるものないじゃん!!
自分に腹を立てながら、最終的に選んだのはインドカレー。

意外に思う人が多いだろうが、カレーってのは薬膳に近い。
甘口のスープカレーを頼んだら、胃腸への負担も少ない。

血流を良くすると思ったのと、少しでも食欲が戻ればと考えた。
胸やけもなく、気分も悪くなかったので正解だ。

先ほど仕事を終えて帰宅した。お刺身だけ食べて、飯粒はパス。
湯浴みの後の体重測定の結果はどうでしょう。。。


今日の昼食から、再び食事を採り始めた。
昼御飯は具無しの掛け饂飩にした。

ずずっ、ずずずー。 

饂飩にせよ、蕎麦にせよ日本流では啜って食すのが作法。
でも、今日に限っては欧米流で静かに食べた。

しかも、饂飩なのに、これでもかと咀嚼した。
おかげで、完食までにいつもの4倍ぐらいの時間を要した。

水分を除いて、胃袋、十二指腸共にからっぽ状態だったから、
かなり吃驚した様子で、食べてるくせに腹の虫が鳴き続けた。

消火が活発に行われている証拠ってことだろう。
待ちかねた食物を、負担が無いようにすりつぶしてから送り込んだ。

物凄く不思議な感覚に襲われたのは食事後40分経過した頃だった。

血流が胃腸に向けて、結構な増員体制で流れこんだためだろう。
白昼なのに、かつてない睡魔に襲われた。

うとうとどころか、睡眠の淵に体ごと無理やり引きずりこまれる。
そんな感覚がやって来た時には、恐らく寝入っていた。

自分を実験体にしてみると色んな事が分かる。
食事を採らなければ、間違いなく胃腸はお休みできる。

でも、お通じが大変なのだ。
木曜夜~日曜昼迄の間の断食は、3日分3食と朝食1食。

食べれば間違いなく戻し、察知した体が食事を求めないから開始できた。
2日目は、少し持ち直したから自分との戦いだった。

3日目に突入すると『案外いけるな。しかも頭がクリア♪』

それでも、金曜日は会社を病欠してしまったし、
月曜は、例え体調不良でも這って行くと決めてたから、
日曜の昼からは食事を再開したのだ。

腸の活発な動きが、音になって聞こえてくる。
グウグウではなく、ギュー、ギューウっとあちこちで鳴いているのだ。

これが血肉になって活力を与えてくれる。
夜は、何としてでも野菜とお肉をバランス良く食べたかった。

何が良いかと考えた結果。

野菜はコールスロー&ポテトサラダ。
お肉はローストビーフにして、それをお醤油で食した。

幸い、食事後の吐き気も無ければ、むかつきも無い。
これで、明日からバリバリ働けるはずだ。

湯浴みの後で体重計に乗ってみた。
いつもの体重のマイナス1・7kg。

そうか…1週間継続できれば、健康診断で示される理想体重に行き着く。
ただ、そうだと結構なガリガリっぷりになるのだが…

今度は、健康な時に試してみようと思う。
固形物を口にしないと、口腔の中は嫌な感じになるが、胃腸は休める。

飲み過ぎた罰には、水分とミネラル、ビタミン補給が確実に出来るようにして、
『断食する』に決めた。

胃袋、少しぐらいは小さくなったかな。。。
どのTV局の天気予報も、さかんに春の嵐の到来を告げている。
昨年のそれが激しかったから。

同じような天気図でいて、低気圧の勢力は更に強いとも言われる。

加えて、冬の大雪の予報の失敗もあったことを考えれば、
しつこいほど注意を喚起する報道にもうなずける。

天気図そのものは嘘をつかないのだろうから、
きっと、それなりに荒れた天気になる。

それにしても、嵐の前の静けさとは良く言ったものだ。

灰色では無い、白くて分厚い雲に覆われた空から、
それがフィルターとなった柔和な光が注いでいる。

鳥の囀りが聞こえ、そよ風にゆらぐ竹林が見える。
夜には、景色が一変するようだ。

少しおかしい想像が頭をかすめた。

かつて、恋の嵐の前に静けさはあっただろうか…
全く思い出せない。

狂おしいまでのそれが、脳裏に刻まれていて、
その前の静寂は記憶にないってことだろう。

そもそも、なぜ、そんな思考がふいに訪れた?
きっと断食のせいだ。

その証拠に、続けて記事を書こうとしている。

嵐の前の静けさの中で、決して訪れることの無い、
違う嵐の中の静けさを懐かしみたいのかもしれないな。