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娘が生まれてきた夜


元夫と子育てについて約束したことが

ひとつ!

親にしてもらったこと以上のことは

娘にも、してあげられるような親になろう。


数日後


娘の名前を考えていた時

元姑が自分の名前の漢字を一文字使って

欲しいと言ってきて


あれだけのことを何度も要求してきて

苦しめられたのに、、、

それだけは、絶対いや!


一瞬で母乳は、止まりました。


母乳を飲ませてあげられていない

この苦しみも長く思い悩みます。


泣きながら搾乳していました。


あの痛みは、一生忘れられません。


名前は夫が回避してくれたので

実家の母と元夫が姓名判断へ行き

その中から夫が名づけました。


それからは

親子3人の、なに不自由ない生活


午後1時半ごろに出勤なので


ゆっくり夫と娘がお散歩へ行って

その間に、お掃除して

ランチしてお見送りして、、、という日々


お買い物は夫に娘を預かってもらい

近くのスーパーへ行ったりの


本当に問題なくの幸せな日々。


でもね、、、


凄い頻度で、夫が出勤した後

家にいるか確認のような

電話がかかってきていました。


それが、、、悩みの種。


1歳までの誕生イベントは全て

命令のように私の実家に要求してきた。


着るもの、引き出もの、おもてなしの食事まで

すべて、、、。

お代も実家持ち、、、。すべて、、、。



いつしか、

自宅マンション7階のベランダから見る

小さな小さなテレビ塔を見て

過ごしている時間が増えていた。



飛んで行きたいな、、、

鳥になれたらな、、、



今も、その景色は鮮明に覚えています

テレビ塔を見ると

その頃の苦しかった日々を思い出します。



籠の中の鳥だなぁーって

ずっと思っていた。


妊娠中が波乱でしたから

妊娠中にママ友らしい人にも恵まれなかった


ここも、私らしい、、、


人と関わる、タイミングもチャンスもない


ここ↓に繋がるのです。



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