最近、出会う方々のレベルが高い。
ここ最近、
実生活と心と宇宙とが結びつき
エゴのない人たちが繋がり出しているのをひしひしと感じます。
そこには利害関係はなく
有名になりたいとか
お金を効率よく稼ごうとか
スゴイ人と思われたいとか
自分の意見が正しいと主張するだとか
他者を否定・卑下するだとか
上下関係を作り出すような空気が…
まったくない!
心地いい!
ただただ、
「自分にできることはなにか」
と、
「この世界を楽しむ」
を原動力に、驚くほどシンクロして同じ波動の人たちを引き寄せている。
わ、それ面白いね!
わ、それステキだね!
応援するよ!
協力するよ!
エネルギーを送り合って高め合う。
あーそうか、
エネルギーの奪い合い
が私が感じる『違和感』であり
居心地の悪さであり
この世界にウンザリする要因だったのか。
と気付きました。
「違和感に敏感になりましょう」
って何度か書いてきましたが、真の意味は
「エネルギーを奪い合っているという事実に気付いて抜け出しましょう」
なんだと思います。
私は「いいね」の裏の思惑にウンザリしてつけれないようにしてますが
「いいね」も本来はエネルギーの与え合いのはず。
純粋にお互いを認めて共に成長する喜びや
シンクロを共有する喜びで満たされた世界を祈っておこうと思います。
いちばんいいお祈りとは
宇宙(=神)の源から注がれる愛のエネルギーを
自分を通してその人へと流し、
それと同時に、
その人がその人の人生で本当にやりたいこと
(人生の目的=バースビジョン)
を思い出す様子を、ビジョンで思い描いてあげること。
ほら、地獄と天国の例えで、
長ーいお箸でご馳走を食べる話、聞いたことありません!?
地獄の人たちはご馳走を自分の口に入れることに必死で、長いお箸では何一つ食べれないけれど
天国の人たちは長いお箸で自分以外の人に食べさせてあげて、結果、自分の口にも誰かがご馳走を運んでくれる。
それと同じなんですよ。
目の前のその人が、
この時代、この世界に、
その肉体を持ってその人として生まれた目的を
思い出せるよう祈り、
その人の能力を最大限に生かして人生を全うできるようビジョンを描くこと。
私の場合はそれを
「絵を描く」
という方法で行ってきたし
これからもそうしてゆく使命のようですが
人それぞれに、
誰かのための「祈り」を、形や行動や知覚できる何かにすることは可能。
「自分は何のために生まれたんだろうか」
を知りたい方はまず
「自分は人のために何ができるだろうか」
を考えてみてくださいね。
(社会的貢献のようなおっきなことじゃなくていいです、
まずは身近で愛情を注ぎやすい家族のため、から始めてはいかが?)
それが、長いお箸で人のお口にご馳走を運ぶ行為です。
そしたら、誰かがあなたにもご馳走を運んでくれます。
つまり、あなたが知りたいことや望むことを、誰かがもたらしてくれるはず。
私もたっくさんの人にご馳走を運んでゆきたいと思ってます。