つまりアミノ酸を生成するコードとなっている部分を「遺伝子」と呼び
それはまるで、五線譜に描かれた音符に例えられます。
突然変異は、二分音符が四分音符に変化したり半音下がったり、メロディーが狂うイメージです。
遺伝子の書き換えは自分の意志ではできません。
(私できるよ!って方がこのご時世、いるかもしれませんが、ここはいない前提で。)
先祖代々から受け継ぎ
子々孫々へ引き渡す
ただそれだけ?
遺伝子を引き継ぐだけに生きて何の意味があるのか。
私たちは人生を生きて経験を積む…
経験が遺伝しないのであれば、どうやって生命は進化してきたのか。
とモヤモヤしていたことをぶっ飛ばしてくれた情報を最近知って感動したのですが
経験も遺伝子に影響を与える。
その人の経験は、遺伝子そのものは変えることはできないけれど
遺伝子の発現の強さを変えることができるのだそう。
楽譜で例えると、音符が作り出すメロディーそのものを変えることは出来ないけれど、フォルテやクレッシェンドを付け、音の強さを経験が変えてゆくのだそうな。
やるかやらないかで「やる」を選びやすい傾向とか、ある状況を避けがちな傾向とかね。
もう子供を作ることはなさそうだとしても、自分の遺伝子を自分の意志でコントロールできる部分があるってことは、面白い!
と思いませんか?
そしてDNAが音楽を示す楽譜に似ていることも、何か深いものを感じませんか??
すべてのものに波長があり、
すべてのものは音楽を奏でている。
私たちの銀河も地球も
私たちのDNAも身体も
私たちの人生そのものも。
幾何学的、数学的運命の中で
私たちの人生はあらかじめ決まった予測可能な道を辿っているのかもしれないけれど
自分の自由意志で変えられる部分があるのならば私は
クレッシェンドでだんだん大きくフォルテッシモ!!!
で締めくくるような壮大な音楽を奏でたい。
2019年最後のこの記事は
で締めくくります。
秩序と無秩序
秩序
運命
エントロピー
生まれたものは
やがて死にゆく
そこに自由意志はあるのか
フラクタルの相似形
大きなものは把握しきれず
小さなものは認識できず
理解でいないその中に
予測できないその中に
無秩序の自由を見た
新しい年に新しい流れがやってきます。
それぞれが生まれ持った能力と可能性を
最大限発揮してゆきましょう。
定められた運命より1オクターブ上の
壮大な音楽を奏でてやりましょう。
みなさま良いお年を!