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『ドラゴンヘッド』という漫画をご存知だろうか?
この漫画では、闇に対する恐怖を克服しようと扁桃体と海馬を切除した人々と、
自力で恐怖を乗り越えようと懸命に生きる人々との対比が顕著に見てとれる。

本来、人間において最も重要な情動は、「恐怖」であった。
なぜなら、恐怖の対象から逃避行動を取らなければ、生命が危険に晒されるからである。
「恐怖」は、生き残るための効果的な戦略として脳にプログラムされているようだ。

心理学的に「恐怖」とは、自己の存在に対して脅威となる対象が
明確になることによって生じる不快な状態のことである。

また、自己の存在に対して脅威となる対象が漠然としている場合を「不安」という。

「恐怖」は、脳の海馬および扁桃体と密接に関わっている。

ジョゼフ・ルドゥは、「恐怖」が条件づけられる経路として感情的計算処理回路を考えた。
これをルドゥは、「ぬかるみの近道」と呼んでいる。


ところで、昨今は「恐怖」に対して心理学とは違った考え方をしているようだ。

ホラー映画やお化け屋敷では、不安を喚起する効果音や演出が巧みに操作され、
突然何らかの対象や物体が現れるというものが多い。
この時、「不安」→「驚き」と情動が移り変わる。

心理学的にいうと、これは「恐怖」といえないだろう。
なぜなら、漠然とした対象における不安が明確になる前に
驚きという情動が発生し先行するからである。

つまり、現在のホラー映画やお化け屋敷では、
「不安」→「驚き」という変遷を「恐怖」とみなしているようだ。

ホラー映画やお化け屋敷といった娯楽は、
「恐怖」を楽しむという一見矛盾した考え方で成り立っているのである。

しかし、先述の通り「恐怖」とは生命の危険を回避するための情動であるはずだ。
それにわざわざ接近するのは、好奇心からか、それとも生命を危険に晒すことに無頓着だからか。
むしろ、生命を危険に晒したいのだろうか。

いずれにしろ、生命が危険に晒されることの少ない現在の人間
ならではの恐怖に対する考え方は、実に興味深いのである。


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