一見関連性がないようなものにも、視点を変えるだけで共通点が見出せることがある。
それは、従来の概念体系が崩され、新たな知的枠組みを手に入れる瞬間でもある。

研究、ロボティクス、セックス、お酒、タバコ
これらには、ある共通点が見出せる。


研究は、コミュニケーションの手段だと考えられる。

自分の研究に賛同してくれる人々との交流。
自分の研究を批判する人々との果てしない議論。

研究領域が似ていれば、それだけ話も弾むものである。
そして、研究領域が違う人々にわかりやすく自分の研究内容を伝えることで生じる素朴な疑問への対応。

研究は、コミュニケーションを円滑にし、促進する一種の道具である。


ロボティクスは、以前の日記 の通り、

コミュニケーション・ツールとしての機能を有する方向性が内在している。


セックスは、「お肌とお肌の触れ合い回線」である。
セックスは、コミュニケーションを促進させる。

セックスから愛が生まれることがあるのは、セックスが豊かなコミュニケーションの表現方法を内在しているからだ。
セックスは、自分と他者との境界線を曖昧にするコミュニケーション手段である。


お酒は、いまや死語になってしまったが「飲みにケーション」といわれていた時代があった。
お酒は、コミュニケーションを円滑にする。

腹を割って話すには、お酒が有効なこともある。
また、セックスという名のコミュニケーションを成立させるための十分条件のこともある。
いや、私はほとんど飲めませんけどもね。


タバコは、コミュニケーションを盛り上げる。
最近の値上がり、喫煙者への圧制、健康への悪影響、

それらすべてが喫煙者達の話の種となり、不可思議な連帯感が生まれたりもする。

普段話せない人とも話すきっかけを与えてくれ、タバコを手にすることで手持ちぶさたにならない。
タバコは、何とも不思議なコミュニケーションの道具である。


研究、ロボティクス、セックス、お酒、そしてタバコ。
それらすべては、コミュニケーション手段という共通項を有していることが示された。

想像力への扉は、こんな所にも開けている。