自分らしい表現、オリジナルの言葉、個性・・・

そんなものは存在しないというのが、私の見解である。


尊敬する木村敏先生によれば、

本当の意味での個性とは誰にも理解されないことであるという。
本当に個性的な人とは、精神病患者のことらしい。


それは極論としても、誰かに受け入れられないものなど意味がないことは確かだろう。
本当に個性的であるためには、耳と目を閉じ口を塞いで孤独に生きるべきだ。


そもそも、言語を介在する表現とは言葉の組み合わせであり、

それらは言語が生まれてから繰り返されているのだから、

どんなに巧みに言葉を紡いでも限界がある。


人間は生まれてから、先達の言葉、国語の教科書、小説、歌(詩)、様々なメディア

などに接しないわけにはいかない。



つまり、自分がどんなにオリジナルな表現と思っても、

それらの影響を全く受けていないとどのように証明すればいいのだろうか。

さらに、もともと言語とは受け継がれていくものだから、オリジナルな表現などあるはずもない。


盗作というのも、少しでも表現を変えれば盗作ではないと考える。
現状は、そうもいかないようだけれでも。


結局、表現とは誰かに受け入れられるためのもので、

ある程度の共通の理解が必要であり、そのためにはオリジナルなどと言うべきではないということだ。


自分らしい表現などと言わず、もう少し謙虚さを持って表現してほしい。

こんな私の見解ですら、恐らく誰かの影響を受けているのだろう。


[今回の参考文献]

異常の構造/木村 敏
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ライ麦畑でつかまえて/J.D.サリンジャー
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