おっぱい・・・

「おっぱい」と口に出して言ってみよう。
少し照れくさいような、少し懐かしいような気がしないだろうか?

「胸」と口に出して言ってみよう。
男性的な感覚を抱き、何か硬いイメージを連想しないだろうか?

「乳房」と口に出して言ってみよう。
医学的・生理学的な響き、もしくは少しの気恥ずかしさを抱きはしないだろうか?
もしくは、美容整形的なイメージを抱く。

「鳩胸」と口に出して言うと、少し吹き出してしまいそうになる。
ハト胸って・・・


このように、言葉は何らかのイメージや感情を抱かせることがある。




かつて、「♪おっぱいが~いっぱ~い」という歌があった。
「おっぱい」を連呼し、しかもいっぱいあると主張するこの歌は、甘く切ない思春期を彷彿とさせる。


小学生のとき「『いっぱい』の『い』を『お』に変えて!」という質問が流行ったことがある。

答えは「おっぱお」なのだが、誤って「おっぱい!」と言ってしまうと、

「エロい」ということになってしまう痛い質問なのだ。

これは、「おっぱい」を強く意識している人々に効果的であり、

ある種のプライミング効果なのかもしれない。

私は答えを知っているにも関わらず、この質問がされると迷わず「おっぱい!」と答えていた輩だ。


「おっぱい」に纏わる様々なエピソードは、私の原点を表しているのかもしれない。
つまり、「おっぱいへの回帰」もしくは「おっぱいに帰れ!」が私の原点であり、永遠のテーマなのである。


人は「おっぱい」より生まれ、「おっぱい」により育まれ、

やがて「おっぱい」へと帰るのである。


[今回の参考文献]

オーチンチン / おっぱいがいっぱい / SLAVE&QUEEN/岩田光央

¥1,020

Amazon.co.jp