私、笑顔がとても素敵です。

でも、その笑顔が張り付いてて

いつでも笑ってます。

そう、いつでも笑っているんです。

悲しい時も、辛い時も

苦しい時も、ムカつくときも

笑っているんです。

そんな私は、傷つけられボロボロになって

急に怒りが爆発します。

爆発するぐらい貯めこんでしまうんです。


でもね、気付いたよ。

周りが気付いてくれないって思ってたけど

『笑う』って選択して行動しているのは私なんだよね。

その時の環境や状況を考えて

こうしたほうが良いと決めて行動しているのは私なんだ。

感情より理性を優先させているのは私なんだ。


止めよう。

そんな笑顔は嘘の私。

私は、自分に嘘をつかせていたんだな。

本心からの笑顔になりたい。

笑いたくないときは笑わない。

怖いけど、自分の感情と向き合っていこう。

怖いけど、自分に嘘をつく人生は終わらせたい。

怖いけど、怖いけど、怖いけど、、、

やっぱ、自分の人生、

自分の好きなように一生懸命生きたい。
言葉の転換。

言葉には、対義語がある。


嬉しい⇔悲しい

有⇔無

愛情⇔無関心

好き⇔嫌い

できる⇔できない

有限⇔無限

どっちが良いとか悪いとか

決める必要なくない?

そして、どちらかを受け取れば

もう逆も受け取れる。


私たちは、常に対極の両方を持っている。

好きを知ることで、嫌いを覚える。

幸せであったから、不幸がわかる。

どちらか一方だけでは、意味がない。

両方あって意味がある。


この転換が苦手だった。

私は、何にもないと思い込んでいた。

何にもない、無の人間で価値がない。

違うよ。

いっぱい有るから無を感じるだけ。

価値がある部分があるから、価値がない部分を感じるだけ。

このマイナスの部分しか認めていないだけ。

そろそろ、素敵な自分を見つけていきたい。
感情と理性。

区別できなくなってたなー。

どちらも私で、選択権は私にある。

しかし、選ぶ方は決まってる。

『理性』

を選ぶ癖がついている。

感情は?
見れてる?
感じてる?

そう、感じてるならいいの。
彼女も暴れないと思うの。

けど、感じ方が足りないと大暴れ。
制御不可能になってくる出来事が
どんどん、どんどん起きてくる。

それでも、気付かなければ
もっと、もっと大きくなって体験することになる。

最近、この癖を繰り返していることにやっと気付けた。

感情を感じ、私が満足、自己実現したいと望むようになったから
気付くための出来事が起きてくれた。
私が自分で引き寄せたこと。

悪いことも、良いことも
すべては私が引き寄せている。
それを見るも見ないも、感じるも感じないも
するもしないも、タイミングも全て自分で決めれる。

何度も、何度も、繰り返しながら
私は自分の道を選んでいる。
なりたい私に、自己実現に向かって進んでる。

マイナス感情を感じて自己開示しよう。

周りにいる人たちに助けてもらいながら生きていこう。
「なぜ、自分を責めるんだ。必要なときに、他人が責めてくれるじゃないか。(アルベルト・アインシュタイン)」

全くその通り。
なのになぜ、私たちは自分で責めるのでしょう。
そう考えると、なぜだろう?って疑問になります。
そして、止めちまおう!自分で自分を責めるだなんて止めちまおう!
なんて馬鹿なことをしてたんだーーーー!と思い決めました。

だけど、『他人が責めてくれる』は間違って認識してしまうことがあることに気付きました。
『他人が責めてくれる』ではなく、『自分を責める』なんだけど、他人が責めていることがあったんです。
いやはや、ビックリ。
わざわざ、自分で他人を使って責めさせているということが。。。

例えば、自分が良いと思っているものがあるとする。
んー。
化粧水にしよう、良いと思っている化粧水があるとする。
その化粧水を他人に話したとき、否定的な答えが返ってくる。
この場合、相手に同調してもらいたかったり話をしたいだけだったりなんだけど責められてる感がある。

それは、どんな時に起こるか。
自分の中で自信が持てなかったり迷ったりしているときほど相手に理解してもらおうと同調してもらおうと躍起になる。
そう、相手に理解してもらおうと私が相手を責めているのだ。
そして、相手を責めると言う事は自分の疑念や迷いを相手を通して自分を責めているのと同じであるのである。
本当に自分の中で確信があればイチイチ人に言わない。
何の疑いもなく信じているから行動に出せるのだ。

人に相談したい時や自慢したい紹介したい時ほど、自分に対して疑念→確信に変えたい時なのだろう。
だったら、話を聴いてくれる人に『自分はこう思っているだ』と自分自身に何度も何度も認識する方が良いのではないだろうか。
そして、いつかは自分の力で自分のすべてを許せるようになりたい。