なにかで、どうしようかな~って迷ってもやもやするときは、
以前のわたしは守りの体制をとることが多かったかもしれない。
今は、心が喜ぶ方を選べるようになってきているかな。。
つまり、
恐れや不安から行動しているのか、
ワクワクや喜びから行動しているのか、
自分の心の動きを客観的に見れるようにはなっていると思う。
そうであっても、
あえて守りを選ぶときもあるけれども、
そんな時は、まだ自由になれる余地はあるね!という気付きを受け取っている。
恐れや不安から行動するとき、
自分が本当はどうしたいかということ以上に、
外部の視線や評価や批判を意識して守りを採用してるんだろうね。
旦那がこう言うから~とか、
誰かにこう言われたから~
っていうのは、その人のせいにしてるけど、ほんとは自分の意見なんだよね。
自分では気付きにくいから人に言ってもらってるんだよね。
わたしもいまだに都合よくそれを使うことはあるけど、
言いながら苦笑してたりする。
誰かのせいにするって便利だからやめられんかったりするよね
人に非難されたりするのっていうのも、
実は、その件で自分自身を非難していることへのメッセージだったりするんだよね。
あと、
人を非難してしまうときは、
その件で、自分は無意識で我慢していて、
そういうことをしてはいけないと思っていることをしちゃってる人に対して非難してるんだよね。
つまり、それをしてもいいんだよと、
自分に許可を出せる余地がありますよ~ってことかな。
自分を縛ってるのは自分しかいないんだよね~
誰かに批判されない生き方じゃなくて、
自分の心が浮き浮きするような選択をしてみるたびに、
世界が広がる感じ!?を味わう。
思った以上にうれしい展開になったりして、
いろいろ気がかりだったことも全然大丈夫で、
あ~大丈夫だったんだなって思うんだよね。
そんなことを何度も繰り返しながら、
「今回はたまたまラッキーだったけど、また何が起こるかわからない!
という怖い世界」ではなかったってわかってくるんだよね。。
やってみなくちゃその体験はできない。。。
この地球にその体験をわざわざしに来ているともいえると思うの。
世間の中に自分がいるんじゃなくて、
自分の中に世間があって、
その自分のイメージ通りに世間は自分に開いてくるという感じ。
そんなことを実感しつつ、自分が拡大していくためにいろんなことに挑戦してるのかもしれないと思っている。。
庭のラズベリーがどんどん赤くなっています