石原慎太郎氏がお亡くなりになられました。
享年89歳。
ご冥福をお祈り致します。

作家として活躍して、弟は当時の大スター石原裕次郎さん。その後参議院議員から東京都知事と常に表舞台でエネルギッシュに活躍されて、自分の思う通りに発言して、自分の思う通りに行動された日本国民の賛否両論が渦巻く自由人であられました。

彼の若い頃のエッセイと対談の本『孤独なる戴冠』
そこで他の作家との対談がいくつかありますが、大江健三郎さんとはあまり話が噛み合っていない。

しかし、三島由紀夫さんとはすごく気が合うのか話が盛り上がり時を置いて2回対談されている。

三島由紀夫さんは45歳で劇的な市ヶ谷駐屯地での演説から憂国の割腹自殺を遂げられたのに対して石原慎太郎さんは89歳の天寿を全うされました。

今はもうエッセイ集『孤独なる戴冠』は私の手元にありませんが、最後にはこう書かれてありました。

とても標高の高いエベレスト山の頂上に一匹の豹の遺体があった。
彼はいったい何の匂いを求めてそんな高い所まで登ったのだろうか?
私はそんな豹でありたい・・・。
という文章で締め括られています。


石原慎太郎さん『孤独なる戴冠』の最後の正確な文章はこうだったようです。↓


ヘミングウェーの「キリマンジャロの雪」の冒頭のエピグラムにこんな言葉が記されてある。「キリマンジャロは、高さ19,710フィートの、雪におおわれた山で、アフリカ第一の高峰だといわれている。その西側の頂は、マサイ語で「ヌガイエ・ヌガイ」即ち「神の家」と呼ばれる。その西側の頂に近く、ひからびて凍りついた一頭の豹の屍が横たわっている。このような高いところで、豹が一体何を探していたのか、誰にもわからない」
かつて見たこの小説の映画化されたフイルムの中で、主人公はパリのキャフェの馴染みのバーテンダーに、酔ってこの謎をかける。バーテンダーは考えた挙句、「多分、何かその豹だけに匂った匂いを嗅いでそこまで上がっていったのだろう。間違った匂いだったかも知らないが」と答える。
バーテンダーのその答えは多分正しいだろう。
豹は我々だ。青年は、その豹でなくてはならぬ。豹が一人嗅いで伝っていったのは、彼自身の個性だったのだ。たといそれが結果として間違っていたにしろ、彼はそれをそこまでたどっていった。高い山の頂まで、勇気をもって。
そしてそこに彼を待っていたものが凍死であろうと、彼は「神の家」を極め、地上のいずれよりも高貴な死の床を得たのではないか。それこそが彼の得た孤独の戴冠だった。この病んだ時代の密林の中で、我々は捨てられた腐肉をあさる麓のハイエナであるよりも、高みに凍えて死ぬその一匹の豹でありたい。


三島由紀夫氏は『大義』というものが重要だと言っておられます。今の日本、自分のことだけを考えている人ばかりではないでしょうか。