舛添氏に対して、熊本の蒲島郁夫県知事は一生懸命に真面目にやっておられるよ!

高校時代に劣等生だったのに、アメリカ留学を期に一念発起して勉学に励み、遂に東京大学教授にまでなられた。

エリート意識で特権意識の、どこかの知事とは全然違う❗

熊本県の財政難に就任当初は知事の給料を100万円カットするという思いきった決断もされた。

ゆるキャラの“くまモン”を世界に広めて熊本をピーアールした立役者も蒲島知事なのです!

今度の未曾有の熊本大震災にも陣頭指揮でリーダーシップを発揮しておられる!

詳しい蒲島知事のことは以下の記事を読んでください。
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蒲島郁夫

日本の政治家

蒲島 郁夫

かばしま いくお


生年月日1947年1月28日(69歳)出生地 熊本県鹿本郡稲田村(現山鹿市鹿本町)出身校ネブラスカ大学農学部
ネブラスカ大学大学院修士課程
ハーバード大学ケネディスクール所属政党無所属称号政治経済学博士公式サイト蒲島郁夫公式ホームページ

公選第17 - 19代 熊本県知事

当選回数3回在任期間2008年4月16日 - 現職テンプレートを表示

蒲島 郁夫(かばしま いくお、1947年1月28日- )は、日本政治家政治学者熊本県知事(公選第17 - 19代)、東京大学名誉教授新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)運営委員。専門は政治過程論計量政治学

来歴

生い立ち

熊本県鹿本郡稲田村(現山鹿市鹿本町)生まれ。熊本県立鹿本高等学校卒業。高校時代は「220人中200位」の劣等生だったが、政治家、小説家、牧場主のいずれかになることを夢見ていた[1]。高校卒業後、自動車販売会社に勤めたが3週間で辞め、地元・稲田村の農業協同組合に就職した。1968年からアメリカ合衆国で農業研修に従事し、1971年ネブラスカ大学農学部に入学して畜産学を修めた(専攻は豚の精子の研究)。1974年、ネブラスカ大学農学部を卒業。ネブラスカ大学大学院修士課程に進学して農業経済学を専攻し、1977年修士号を取得。政治学専攻に転じてハーバード大学ケネディスクール博士課程に入学し、1979年にハーバード大学で政治経済学博士号(Ph.D.)を取得した。ハーバード大学ケネディスクールではサミュエル・P・ハンティントンシドニー・ヴァーバの指導を受ける。

研究者として

1980年筑波大学社会工学系講師に着任し、1985年には助教授に、1991年には教授に昇格。1996年より筑波大学大学院国際政治経済学研究科長。1997年には東京大学大学院法学政治学研究科教授に着任し、農協の職員から東大教授に就任した異色の経歴がマスメディアを賑わせた。専攻は政治過程論計量政治学であり、投票行動の実証的研究や、政治参加に関する政治発展理論において業績をあげた。また、東大の蒲島ゼミに所属する学生による研究書が木鐸社から刊行されている。蒲島ゼミの出身者には山田真裕菅原琢、タレントの楠城華子らがいる。2007年より熊本県立大学客員教授(~2008年)。

政治家として

2008年3月5日、東京大学を退職。翌3月6日熊本県知事選挙への立候補を届け出た。特定政党からの推薦は受けず、無所属で出馬したが、自由民主党から実質的な支援を受ける。蒲島の他に相良村長の矢上雅義や元衆議院議員岩下栄一ら、5人が立候補した混戦を制し、4人の対立候補を大差で下して初当選した。のちに中央公論に、自分の選挙を自分で分析した論文[2]を発表した。なお1991年に、3選を目指さず勇退した当時の熊本県知事、細川護熙の後継候補に名前が挙がり、出馬の要請も受けたが辞退した(参議院議員の福島譲二が立候補し、当選)。

知事就任後、熊本県庁において過去の不適切な経理が発覚した責任を取り、1年目の自身の知事給与を月額100万円カットし[注釈 1]、2年目も財政再建分の3割を含めた給与の5割をカットした[注釈 2]

2008年6月、東京大学名誉教授。同年11月には、タレントのスザンヌを熊本県の宣伝部長に任命した[3]九州新幹線全通にあたってはくまモンによる観光キャンペーンを先頭に立って積極的に展開した。

2012年熊本県知事選挙では、前回の知事選でも支援を受けた自民党をはじめ、政党や各種団体の組織的な支援を受け、対立候補を大差で下して再選[4]2013年1月より教育再生実行会議委員。

2016年の熊本県知事選では自民党から「公認以上の支援」を受け、前熊本市長幸山政史ら対立候補2人を大差で破り三選[5]。その直後の4月14日4月16日には益城町などで震度7を記録した熊本地震により県内各地で大きな被害が発生、自衛隊の派遣要請や政府との折衝など災害対応の陣頭指揮を執った[6]