今回は、思い出の店と言うよりも、個人的な雑記である。


私が熊本にいた頃、東バイパス沿いの店に行くこともあった。

現在の状態は、グーグルマップではこうだ。



中央やや右に縦に走る道路が東バイパス。

熊本県庁や熊本空港、熊本ICに繋がる、非常に交通量の多い道路だ。

私がいた頃は片側2車線だったのだが、現在は片側3車線に拡張されているようである。


中央からやや下に、横に走る道路があるが、これは産業道路と呼ばれるもの。

この産業道路から東バイパスに入り、その後北に行ったり南に行ったり・・・という行動をとることが多かった。


東バイパスに入った後南下して東に進み・・・健軍と呼ばれる地方で2年近くアルバイトをしていた。

また、季節労働者のバイトで、ここで働いていたこともある↓



関係者や近隣の人には一発で分かるんだろうが・・・遠くに見える工場である。

現存しているようだ。

ここで働いたのは夏季のみ。

ここのスタッフの顔や、一部の人の名前まで・・・20年以上経っていて、その後一度も会っていないにも関わらず覚えている。

あの時は、不器用な自分は色々と迷惑をかけてしまった。


東バイパスにあるパチンコ屋で印象深いのはモナコだ。



これは現在の写真だが、私がいた頃と変わっていないと思う。

私がパチンコにのめりこむ頃に、新規オープンしたのがこの店だ。

ブログに何回も登場している、熊本市下通りのコア21より、こちらの方が少しだけオープンが早かったような・・・気がする。


とは言っても、人ごみの嫌いな自分は新規オープンのおいしい時期にはこの店に行っていない。

周りの友人が騒いでいるのを横目に見ていただけ。

そして、ほとぼりが冷めた頃に何度か行ったのだが、あまり勝つことがなく、結局この店に通うことはなかった。

勝っている友人は多くいたので、自分と相性が悪かったのかも。


この店が印象深いと書いたのは、当時話題だった、三共のフィーバーマキシムシリーズを初めて見たのがこの店だったからだ。



↑フィーバーマキシムEXⅢ(三共)

マキシムはシリーズで全部で7種類あったが、もっとも出回ったのが連チャン率の高いこのEXⅢとGPⅢだと思われる。

2011年の記事に書いているが、自分はこの2種類しか見たことも打ったこともない。


モナコで初対面したマキシムの第1印象は「うわ~綺麗!!」そして打ってみて「目が疲れる!」「絵柄が見づらい!!」

保留玉1個目で連チャンするのは楽しかったのだが、それまでのフィーバースパークEDやCXとゲーム性に変わりがなく、また攻略要素もないと分かると打つことがどんどん減っていった。

絵柄が揃った時の気持ちよさ(=快感)が、他のドラム機よりも薄かったというところもある。

有効ラインが横3本で、斜め揃いは無効というのもイヤだった。


私と同じ気持ちの人は多かったようで、これまでの三共ドラム機ほど流行ることはなく、登場した時の話題の多さ、期待の高さとは裏腹にあっさりと消えていった台だ。


東バイパス界隈では、ニュー託麻という店もあった。

現在はなくなっているようで・・・今で言うとどこにあたるのかが全く分からない・・・困ったものだ。


ニュー託麻に、ある日朝一に行ったことがある。

そして座った機種はなぜか、朝一の恩恵など何もないフィーバーフラッシュⅠ



↑フィーバーフラッシュⅠ(三共)

おまけチャッカー付きの旧要件機。

ブログで度々ネタに出している気がする。

大好きな機種。復活希望。


軍艦マーチかF1のテーマかは忘れたが、開店の音楽が店内に流れ、意気揚々と打ち始めるが・・・玉が飛ばない!なんでだ!!

仕方なく隣に移動・・・またしても飛ばない!なんでだ!!

もういっちょ隣に移動・・・・またまた飛ばない!なんでだ!!


店員を呼ぶと・・・・シマの電源が入っていないという単純なことだった。

店員は特に悪びれもせず、電源を入れたら「はい、どうぞ」という感じだった。

今のパチンコでこういったことはあるのだろうか?


朝一のフィーバーフラッシュⅠのシマには自分しかいなかったのだが、ここまで気が付かなかった自分も凄いなと思った。

言い訳ぽいが、時代背景もあると思う。

ドラム機なので、当然デモ画面などない。

打たない限り、または当たらない限りは、特にライトなど付かない暗い台がほとんどだった。

フィーバーフラッシュⅠの前身のフィーバーレクサスシリーズなどはまさにそれだ。

フィーバーフラッシュⅠでは、ドラム機で初めてドラムを照らすライトが装備された。

現在のようなバックライトではなく、ドラムを上下から照らすもの。

通常時は、誰も打たなくてもこのライトがゆっくりと点滅を繰り返しているのだが、当時の自分はそのことがすっかり頭から抜けてしまっていた。

さらにこの当時のドラム機には、朝一出目というものが存在せず、全てバラバラの出目だったことも影響していると思う。

ドット等のデジタル台であれば、いくらなんでも電源が入っていないことは分かっただろうにな。


おそらく当時ならではのエピソードだと思うのだが、ニュー託麻というとこのことが記憶から離れないのである。


東バイパスから産業道路に戻ってしばらくするとうどん屋があり、よく寄っていた。

グーグルマップで見ると現存していた!



写真右手の黒田藩という店。

画像奥でぶつかるのが東バイパスである。


黒田藩はチェーン店で、熊本市では国道3号線沿いにも当時あり(今は知らない)、そこにもよく行っていた。

全国チェーンなのか、熊本・九州ローカルなのか知らない。

少なくとも、私の現所在地の宮崎市にはない。


24時間営業で、いつ行っても開いてるのが良かった。

特別に美味い!とは思わないのだが、無難な味で安心感があるというか・・・。

まだ二十歳そこそこの自分が、この店でおろしうどんを食べた時、なんとなく「大人になった」感覚があったものだ・・・。

今考えると可笑しい。