前回ポンポンガールの記事を書く中で、エロ路線パチンコのことに触れた。
そこで思い出したのは脱衣麻雀ゲーム。
平成初期の頃、私はたま~にゲームセンターに行っていた。
私がよく行っていたゲーセンの、現在の状況をグーグルマップで見ると・・・
20年以上経った今もゲーセンだ~と思ったら・・・「売物件」の看板が!!!
建物は当時のままのようだ。
でも壁の塗装と、多少のリニュアルは行われたのではないかと想像する。
私が行っていた当時は、建物は真っ黒だった。
ちなみにどのゲームも50円で2ゲームだった。
500円あれば、充分にゲームを楽しむことができた。
今は、基本的にはゲームをしながらの喫煙はNGの禁煙の店が多いと思うのだが、当時のゲーセンにそんなルールはない。
ほとんどヤローの暗い店内で、タバコの煙がもくもくと立ち込めていたものだ。
今のゲーセンは、UFOキャッチャー系の掴みゲームと、パチンコ・パチスロ台と、太鼓の達人があるのが基本で、あとは店によってプリクラがあったりメダルゲームがあったり・・・というのが主流だと思われる。
しかし、平成初期の頃は上記のいずれも存在せず、ゲームセンターと言えばビデオゲームが全盛だった。
このゲーセンも、ほぼ100%ビデオゲームしかなかった。
更に遡って私が子供だった昭和50年代は、「ゲーセン=不良のたまり場」で、平成初期になるとその辺りのイメージが段々変わってきた頃と言える。
今では、不良のたまり場というイメージではないだろう。
パチンコのイメージが変わったように、ゲーセンも変わって行った。
で、平成初期の頃にゲーセンでよくやっていたのが、当時大流行だったテトリスと、アイドルを模したキャラがよくでてくる脱衣麻雀だ。
これは多分、当時アイドルだった渡辺満里奈を模したものだろう。
ゲーム開始時のキャラは工藤静香だった脱衣麻雀ゲームが印象深い。
この脱衣麻雀・・・やったことがある方はお分かりだろうが、最初の1、2回は簡単に勝てることが多い。
ところが、ゲームが進んで色々なキャラが脱いでいくほど、勝つのが難しくなる。
工藤静香で始まる麻雀ゲームの最終キャラは、当時の「トレンディドラマ」の象徴的存在で、各種メディアに引っ張りだこだった浅野温子だったが・・・
これが強くて強くてなかなか勝てなかった。
コンティニューに次ぐコンティニューの末に諦めたことが多かったのだが、ある日、温存しておいた「牌交換券」等のアイテムを使い、いきなり天和で私があがったのだった。
ついに浅野温子を丸裸にすることに成功し、私は思わずガッツポーズしたのが懐かしく思い起こされる。
ちなみに実写版の脱衣麻雀ゲームや、ジャンケンゲーム(要は野球拳である)もあったが、「最初は勝つが、ゲームが進むほど勝てなくなる」という傾向は、この実写版の方が強かった。
ほとんど最初しか勝てないようなものなので、「さっさとAVを借りてきた方が早いのでは・・・」などと、友人とバカな話をしながらやったものだ。
実写版とは言っても・・・当時ですら画質の粗さが気になっていたレベルなので、今だととても見れたものじゃないだろう。
前置きが非常に長くなったが、ポンポンガールを打っている時に感じる、何となく恥ずかしい思いは、この実写版の脱衣麻雀ゲームをやっている感覚と似たものがあった。
まぁ・・・実写版脱衣麻雀とは、全然内容の質が違うのであるが・・・
ポンポンガールで見事大当たりすると、画面は大当たり画面になるのだが・・・
当然女の子が出てくる。しかし、服は脱がない。
大当たり中よりも通常時の方が露出が多いというのも珍しい機種である。
機種の売り文句とされていたのだが、当時の自分でも「だから何?」である・・・
画像は2ラウンドのものだが、「私たちは」と、中途半端なセリフがある。
これが各ラウンド毎にあり、繋げるとひとつの文になるというものだ。
ハッキリとした内容は忘れてしまったが、これがどうしようもなくどうでもいい内容だったことは確かだ。
無理矢理に16分割した文を作ったようなもの。
ちょっと悪いように書いてしまったが、何とかして話題を作り、販売に繋げたいというメーカーの努力と意思を、たんなるいちお客の自分には感じられた。
実際に見てみて「だから何なんだ??」という内容ではあったのだが、不愉快な思いはしていない。
不愉快というよりも、思ったほどインパクトがないガッカリ感が残ったものだったのだが・・・それは表面上のこと。
ポンポンガールは、中身でハートフルな機種だった。
続きは次回。