今回は、思い出の店「大統領上通り店」。


大統領は、今はどうだか知らないが、当時は勢いのあったチェーン店で、熊本市内のあちこちに店があった。

上通り店はその中のひとつで、上通りアーケード街の中にあった。



↑グーグルマップでの、現在の上通りアーケード入口


今から4~5年程前に、短い時間ではあったが、この上通りアーケードを実際に歩く機会をもつことができた。

その結果、平成初期の20年以上前と比較して、上通りアーケードは大きく変貌を遂げており・・・大統領は既になく・・・大統領がどこにあったのかすら分からない位に変わっていた。


それもそのはずである。

この写真からしても、私が熊本にいた当時と全然違う。

私がいた当時は、入り口には日本語で大きく赤い字で「上通り」と書かれていたと思う。


ここでパチンコと関係のない思い出話を書くと、私が熊本に降り立ったのは平成元年の1989年である。

この時の熊本市繁華街の代表的なアーケード街である、上通りと下通りとサンロード新市街は、現在よりも、ずっと天井が低かった。

下通りの入り口から20~30m位??は既に高い天井になっていて、おそらく現在のアーケードの原型になっていると思われるが、そこ以外は今よりもビルのフロア1階分は天井が低かったのではないかと思う。

下通りから、天井を高くするための工事に入っている状態だった。

工事は下通りから始まり、そのままサンロード新市街にも続き・・・私が熊本にいる間に比較的早く、下通りとサンロード新市街は天井が高く、また明るくもなり、より近代的なアーケードに生まれ変わった。

グーグルマップでの現在の様子。



下通りの入り口



サンロード新市街(辛島町側から見たところ)

角のコンビニはいつ出来たのだろうか・・・


そんな中、上通りだけはずっと天井が低いままで、下通りや新市街と比べると前時代的で暗く古臭いアーケードであった。

アーケードを抜けた先にあった並木道は、私が熊本在中の間に整備され綺麗になったのだが、アーケードはそのままだった。

どうやら私が熊本を去ってから、アーケード街は大規模な工事を行ったと思われる。


そんなアーケードの中にあった大統領は、古臭く、繁華街のアーケードの中にありながら庶民的な雰囲気の店だった。

立地は異なるものの、同様の古臭さから、以前に記事にした子飼娯楽センターと雰囲気的に近いものはあったと思う。

なぜか店に入る前に上る階段が1段か2段かだけあり、ちょっとだけ高いところに店があった。

狭いカウンターには女性従業員が2~3名いて、ホールにいるのは男性従業員。

大統領はマイクアナウンスのあった店で、誰かが当たると従業員が「○番台、スタート~!!」と放送していた。

今はどうだか知らないが、私がパチンコをしていた当時は、こういうマイクアナウンスをする店は段々減っていったように思う。

当時としてもレトロな雰囲気を感じるこういうお店・・・私は好きである。


大統領上通り店の大きな特徴に、シマの台の幅が狭いことがあげられる。

正式名称が多分あるのだろうが、何と言うのか分からない・・・・

要は、客の手元である。打っている最中にタバコを置いてたり、ドル箱を置いてたりする台。

この台の幅が狭く、大きいドル箱はそのままでは置けず、床に落ちてしまうのだ。

そのため、パチンコ台の下にドル箱を引っかけるための金具が取り付けてあった。

ドル箱は金具に引っかけるのがこの店でのルールみたいなものだった。


しかし、金具に引っかけるだけというのは不安なものだ。

当時は4000個入る箱が普通に使われていたが、当然相当の重さになる。

満タンに玉の入った箱を金具に引っかけて打つのは、金具が外れてしまう危険も感じ、自分は膝の上にドル箱を乗せて打つことが多かった。

しかし、これもある意味拷問の図で、脚は疲れ、しんどかった。


さらに辛いのが、この状態で大当たりした時。

膝に満タンの箱を乗せていると、立ち上がって店員を呼んだりランプボタンを押すのは難しい。

ドル箱を下ろす時はどうしても両手を使うので、その間、台は放置になる。

金具に引っかけて打っていた場合も、ドル箱を下ろす際、フライパンを返すように少し手前を浮かさないとドル箱が取れないため、なかなか店員が来てくれないと焦ったものだ。


当時は800個程度の容量の小箱がまだ存在していて、小箱だと台にそのまま置ける。

そのため、ドル箱は足元に置き、出玉はいったん小箱に取ってから足元のドル箱に移す・・・という光景がよく見られた。

移す作業は煩わしいが、これだと店員を呼ぶのも容易だし、箱をひっくり返すリスクも減る。

大統領上通り店だけではなく、他の古い店でもしばしば見られた光景だ。

1回当たりの出玉が3000個以上あるフルーツパンチが設置してあっても、4000個箱がない店もあり、そういう店でこの「いったん小箱に取った後他の箱に移す」光景が見られた。

また、小箱のある店は、「パチスロは小箱を使う」のも定番であった。


頭の中で想像しても、文章にしてみても、こんな面倒な店には行かなければいいのでは?と思ってしまいそうだ。

当時でも確かに面倒くさかったのだが、それが理由で行きたくないという気持ちにはならなかったから不思議なものである。

出玉で言うと、ハッキリ言って大統領上通り店はいいとは言えない店だった。

そのためか客は多くはなかったが、決して他の店と比較してボッタクリということもなく、ゴミゴミしていない庶民的な雰囲気が好きな店だった。

この店で、積極的に長時間打つことはなかったが、ちょっと癒しを求めて行っていたような感じだ。

朝一から打ったことは一度もない。

以前記事に書いたが、パチンコ大劇でのアルバイトの後、時間があった時に行くことが多かった。


大統領上通り店に設置されていた機種。



↑フルーツパンチ(大一)

当初は1回交換だったが、晩年は7で当たれば無制限というルールに変わり、それに比例して釘は激渋になった。



↑パールセブン(マルホン)



↑フィーバーフラッシュⅠ(三共)




↑ドリームジャンボ(奥村)

この店での出来事を、以前に書いた。(2010年8月15日)




↑バンガード(藤商事)



↑トリプルキング(三星)



↑ムサシ(パイオニア)


その他、以前記事内で、「私が機種名を覚えていない」と書いて、その後教えていただいた、『 フィーバーフェニックスDⅡ 』を打ったのはこの店だ。


前述したように、4~5年前に上通りを歩いた際、この店がどこにあったのかが全く分からなかった。

当時はアーケードの裏道を通って、原付バイクで行っていたのだが、どの道をどのように通っていたのかも全く覚えていない・・・。

店の裏側に駐車場?駐輪場と、換金所があったが、非常に狭かったことは覚えている。

当時の店の写真とか、もし見ることができたら嬉しく思う。