私の思い出の店を掲載する2回目。

今回はコア21下通店だ。





このブログにも何回も名前を出している通り、私が最も通った店であり、現存しているようだ。

1992年にオープンしているのだが、実はオープン当初はこの店には行っておらず、行くようになったのは、新規開店のほとぼりが冷め始めた頃であった。

元々人混みが好きではないので、客が多過ぎる店は敬遠するタチなのである。

余談だが、現在も人混みは苦手で、時々仕事で行く東京出張はそういう意味で辛いものがある。

一時期は発狂しそうになりそうな感覚があったが、最近は少しずつ慣れてきて、自分もやっと大人になってきたな~と感じるこの頃。


設置台数1200台以上の、当時日本一の設置台数を誇った店だ。

5階建ての建物だったように思うが、1,2階が全面パチンコ、3階が半分パチンコ半分パチスロ、4階がカラオケボックス、5階がゲームセンターだったような気がする。

自分はこのビルのカラオケとゲームセンターには一度も行っていない。

まさに、“パチンコのみ”であった。


換金所は当初4階にあり、閉店間際まで打った時には大勢が慌ててエレベーターに駆け込む光景が見られた。

人が多い時には階段も利用したが、わざわざ4階まで上がらなければならないのが面倒に感じていた。

そんな客の意思を察知したのかどうかは分からないが、ほどなくして1階フロアを出てすぐの所で換金できるようになった。現在はどうなってるのか・・・全く知らない。


シマにより営業形態が異なるが、当初は厳しいラッキーナンバー制で、安定的に勝つのは難しいと感じていたのだが、ほどなくしてこのブログ内でも何度か書いているタイムサービスを実施するようになった。

タイムサービスは、開店の10時から午前11時までの1時間の間に大当たりした台は、打つ人が変わらない限り、どんな機種でも終日無制限になるというもの。

このサービスが始まってからは、私は勝率がグ~ンと上がった。そして、基本的に朝一以外では打ち始めることがなくなった。


以前にも書いたが、タイムサービスを最大限に生かすため、両替は前日のうちに済ませておき、ジュースやタバコは事前に買っておくか、買うならタイムサービスが終わってから行うようにしていた。

私は当時のアシは原付バイクで、同じ繁華街にあったコアまるみつの地下駐輪場にバイクを置いて、そこからコア21まで歩いていく・・・というルートを通ることが多かった。

下通りと銀座通りの交差点には信号があり、そこで信号待ちをしている時に「キーンコーンカーンコーン」と、午前10時の鐘の音がなると、急いで小走りに店まで行っていたのが懐かしい・・・行く時はほぼ“10時ピッタリ”の時間を目指して行っていた。


10時ピッタリになる前によく行っていた店



↑この店・・・よく行ってました。


現在のグーグルマップで見ると、「上気元」って店の名前のようだが・・・熊本市の黒髪地区にある店。

当時の名前は煉瓦亭。写真では分かり辛いが、隣の郵便局との境には「煉瓦亭」の看板がある。

建物の外観は、看板以外私が行っていた当時と変わっていない。

喫茶店だが、当時としても安かった。コーヒーとトーストとサラダが付いたモーニングセットが20数年前で350円だったと思う。20数年前ということを考慮しても、やっぱり安い!しかも美味い!

日替わりランチが500~600円・・・う~忘れてしまった。

コーヒーを付けるとプラス100円で、日替わりランチにはプルプルゼリーが付いててこれがまた美味かった。

毎日ある定番メニューで、ミートソースパスタとピラフも美味しくてよく食べていた。

パチンコの調子がいい時は、プーの若造の分際でモーニングセットのコーヒーをすすり一服しながら、ここで朝刊を読み、時間を見計らって大体9時40分位にここを出ていた。

ここもう1回行きたいな~・・・今と当時と変わっただろうか・・・

20数年前の当時は、推定60歳位の夫婦がオーナーでいて、その跡取りに息子なのか第三者なのか分からないが岸部シローに似た感じの人がいて、結構店を仕切っていた。それにバイトがいるという感じだったな。



↑角度を変えたら、ハッキリ「煉瓦亭」の看板が分かった!

20数年前とほとんど変わっていない風景。当時も隣は郵便局だった。その隣の店は・・・当時はなかった。当時何の建物だったのか、全く記憶にない。


コア21から段々話がずれてしまっている・・・コア21のことは、これまででブログに何回も書いているし、これからも書くと思うので、周辺情報を書いてしまうが・・・

コア21で打つ際、以前ブログに書いた「泥棒騒動」があるまでは、お昼にはよく食事休憩に店を出ていた。

その時によく食べていたのは、コア21前方の下通りから路地に入り、しばらく西に歩いていると左手(南側)にあるラーメン屋だった。

そこはこじんまりとした店で、あっさりとんこつの細麺で、典型的な長浜ラーメンの店だった。

替え玉をたくさん食べた人は写真と色紙が店内に張り巡らされていた。


しかし!私は店の名前を全然覚えていないのだった。泥棒騒動以来、食事休憩しなくなったので、ますます記憶が遠のいているのである。

わずかな記憶だけが頼りでグーグルマップを見て、これかな~???という店が↓の写真

もしかしたら違うかも・・・その時はごめんなさい。店自体もうないかもしれないので。



↑飲み屋街の路地にある店で、小さい店だったと記憶している。

こ洒落た感じもせず、当時から古臭い感じだった。


コア21でのパチンコが、私の熊本でのパチンコの半分以上7割位を占めるので思い出はありすぎて困る。

たくさんいた店員・・・・常連客・・・・初めてのコーヒーレディ・・・・色んな顔が当時のままで頭の中にある。

設置機種は多すぎてここには書けない・・・これからもおいおい書いていくことだろう。

一時的に2階が禁煙フロアになったのは辛かったな~・・・一気に客が飛び、1~2ヶ月位で元の喫煙できる状態に戻して笑えた。

今ならばいいのかもしれないが、当時で禁煙フロアは全くウケなかった。


コア21は客が多すぎることもなく、自分にとってはとても居心地のいい店だった。

しかし、以前にも書いたが、私が熊本市を去る直前には、コア21は朝のタイムサービスだけではなく、夕方にも無制限になるタイムサービスを始めた。

これだけならば、大きな問題ではないのだが、帳尻あわせのため、明らかに釘が渋くなり、この店特有のうまみがなくなってしまったのだった。

おまけに釘は渋くしたのに客は増えてしまった。

店にとっては思惑通りだったことだろう。

おりしもその頃はCR機が台頭しだした頃で、CR機の初期は、1/3で確変2回継続、途中確変で継続・・・という、いわゆるフルスペックの台が多く登場し、確率は1/400前後の台がゴロゴロし始めた。

そうなると、朝の1時間で当たらないことが増え、釘よりも運任せ勝負になることが増えて、安定して勝ちにくくなっていった・・・・現在も続く流れのさきがけであろう。


1995年、熊本市を去る時はこの店が頭に浮かび、涙が出そうになった・・・

2002年に1度だけ訪れる時間が持てた。

店内に休憩スペースのようなものが設けられ、明らかに設置台数が減っていたことに驚いた。

パチンコを打つことはできなかったが、店内をグルっと見て、変わらない部分を見つけては嬉しくなった・・・エスカレーター、そしてトイレ。奥が女性用手前が男性用。


あれ以来訪れていない・・・・

永遠にこの店は存在していてほしいし、私が生きている間にもう一回行きたいと思っている。