ウルトラ麻雀でデジパチを体験してから、私は次第に羽根物からデジパチや権利物にシフトしていった。
また、パチンコの魅力に取りつかれ、現役の機種を打ちながら古い機種も打つというスタイルであった。
時代は、ちょうど旧要件機種が少しずつ消えていく頃だったせいもあり、打つなら今と意図的に旧要件の機種を打つことが多かったかもしれない。
今回は、この旧要件の特にデジパチについて書きたい。
まず、旧要件というのは1990年のパチンコ内規改正以前の要件のことであり、現在とは大きく異なる点が多い。
デジパチでの主な違いは
①最大の賞球13個(現在は15個)
②アタッカー最大開放数10回(現在は条件付で16回)
③電役は一つだけ(現在は複数有りも可)
④最高の大当たり確率は1/200(現在はアタッカー開放数との兼ね合いで幅広く設定可能)
⑤おまけチャッカーが存在(現在は禁止)
こういったところであろうか・・・
③の電役が一つだけというのは、要は電チュー等アタッカー以外の役物が禁止ということで、
当然のことながら、確変や時短といったものは新要件になってから登場したものである。
確変や時短がないので、客の射幸心を煽るのはもっぱら連チャンと出玉であった。
連チャンは、表向きは禁止されているものであった(現在もそうだが)せいか、私がパチンコを始めた頃は目立った連チャン機というのはまだ一部で、ちょうど連チャン機ブームが始まり始める・・・パチンコ黄金時代の入り口に生きていた感じだ。
少し話がそれたが、旧要件の機種は出玉に機種毎の個性が強かった。
おまけチャッカーの存在故である。
おまけチャッカーというのは、大当たりしてアタッカーが開いている時にのみ、極端に入りやすくなっている入賞口のことで、一応表向きは禁止されていたため、ノーマルゲージのままではおまけになりえなかったが、釘を大きく曲げることによってそれを可能にしていた。
また、メーカーも初めからそれを想定してゲージを決めていたのだ。
大当たり中、おまけにいかに多くの玉を流すか(流れるか)で出玉が変わっていた。
よって当時の台は、機種毎、釘毎で出玉が変わるのはもちろん、アタッカー開放時間も重要な要素であった。
アタッカーが一回の開放で開いている時間は、規定では昔も今も最大で約30秒である。
現在は、時間など全く意識されていないと思われるが、当時は開放時間も機種によりまちまちで、出玉とパンクの兼ね合いもあり、スペックを調べる際は意識されていた。
スペックを調べるといえば・・・当時は主にパチンコ雑誌でしかスペックを知る術はなかった。
現在は基本確率等は台に明記されているし、携帯等で簡単に調べることができるので便利になったものだ。
ただ、台自体は非常に複雑になっているけれども・・・。
「確率は、メーカーが明記すべき!」と、当時のパチ雑誌にはよく書かれていた。
随分時間はかかったようだが、それが実現できたことを自分はとても嬉しく思っている。
また話がそれたが・・・旧要件のデジパチというのはその後のパチンコにはない魅力もあり、消えてしまったのは悲しいことである。
ほとんどが、出玉とパンクの駆け引きドラマみたいなものであるのだが。
次回は、この時代に私が打っていた旧要件デジパチのことを書きたいと思う。
また、パチンコの魅力に取りつかれ、現役の機種を打ちながら古い機種も打つというスタイルであった。
時代は、ちょうど旧要件機種が少しずつ消えていく頃だったせいもあり、打つなら今と意図的に旧要件の機種を打つことが多かったかもしれない。
今回は、この旧要件の特にデジパチについて書きたい。
まず、旧要件というのは1990年のパチンコ内規改正以前の要件のことであり、現在とは大きく異なる点が多い。
デジパチでの主な違いは
①最大の賞球13個(現在は15個)
②アタッカー最大開放数10回(現在は条件付で16回)
③電役は一つだけ(現在は複数有りも可)
④最高の大当たり確率は1/200(現在はアタッカー開放数との兼ね合いで幅広く設定可能)
⑤おまけチャッカーが存在(現在は禁止)
こういったところであろうか・・・
③の電役が一つだけというのは、要は電チュー等アタッカー以外の役物が禁止ということで、
当然のことながら、確変や時短といったものは新要件になってから登場したものである。
確変や時短がないので、客の射幸心を煽るのはもっぱら連チャンと出玉であった。
連チャンは、表向きは禁止されているものであった(現在もそうだが)せいか、私がパチンコを始めた頃は目立った連チャン機というのはまだ一部で、ちょうど連チャン機ブームが始まり始める・・・パチンコ黄金時代の入り口に生きていた感じだ。
少し話がそれたが、旧要件の機種は出玉に機種毎の個性が強かった。
おまけチャッカーの存在故である。
おまけチャッカーというのは、大当たりしてアタッカーが開いている時にのみ、極端に入りやすくなっている入賞口のことで、一応表向きは禁止されていたため、ノーマルゲージのままではおまけになりえなかったが、釘を大きく曲げることによってそれを可能にしていた。
また、メーカーも初めからそれを想定してゲージを決めていたのだ。
大当たり中、おまけにいかに多くの玉を流すか(流れるか)で出玉が変わっていた。
よって当時の台は、機種毎、釘毎で出玉が変わるのはもちろん、アタッカー開放時間も重要な要素であった。
アタッカーが一回の開放で開いている時間は、規定では昔も今も最大で約30秒である。
現在は、時間など全く意識されていないと思われるが、当時は開放時間も機種によりまちまちで、出玉とパンクの兼ね合いもあり、スペックを調べる際は意識されていた。
スペックを調べるといえば・・・当時は主にパチンコ雑誌でしかスペックを知る術はなかった。
現在は基本確率等は台に明記されているし、携帯等で簡単に調べることができるので便利になったものだ。
ただ、台自体は非常に複雑になっているけれども・・・。
「確率は、メーカーが明記すべき!」と、当時のパチ雑誌にはよく書かれていた。
随分時間はかかったようだが、それが実現できたことを自分はとても嬉しく思っている。
また話がそれたが・・・旧要件のデジパチというのはその後のパチンコにはない魅力もあり、消えてしまったのは悲しいことである。
ほとんどが、出玉とパンクの駆け引きドラマみたいなものであるのだが。
次回は、この時代に私が打っていた旧要件デジパチのことを書きたいと思う。