私はかなり怒ってる。

何に怒っているかというと、ここ連日毎日のように熊が里に降りてきて

人間を襲い、射殺されているという状況が許せない。


どう考えても熊だって好きで人里に出てくるわけではないだろう。

それだけ山に食い物がなくなり、リスクを冒してでも食料を確保しに来ている。

当然腹が減っているから気も立っている。


だから殺すのか?


そういう状況であることを知ったうえで、根本的な原因を放置しておきながら

彼らが出てきたら殺すのか?


世界一大量の残飯を生み出しながら野生動物に分けてやる食料がないと言うのか?


この問題は為替も同じ。


円が上っちゃったから売る・・

熊が出てきたから殺す・・



なぜ常に対処療法しか思いつかないのか?



十分な情報や知力を持ちながら使わない理由が全く理解できない。


こういう問題を解決するのは政治だが、その阿呆な政治家を選んでいるのは

我々国民であるという事実が非常にくやしい。


原因は山ほどあるだろうが、私も含めて一般的な国民に政治家の資質を見極める能力はないだろう。


この責任の一端はメディアにあると思う。


なんたら48とかいうわけのわからんものばかり紹介して政治家の人柄や資質が国民の目に触れる機会は非常に少ない。


なに?国会中継ちゃんと見ろ?


そんなの見てるほど暇があるのはお年寄りだけ。


普通に生きているだけで、どの政治家がなんという名前で何をやっている奴なのか誰でも知っているような社会を作ることが最優先事項だと思う。


そういう番組が全くない、とは言わないが、ディレクターの才能に疑問を感じるようなものしかないのが現状だろう。


本当に才能のある本物の人材をこの国の最も重要な部分に投入してほしいね。


いずれにしても熊殺しは即刻中止し、行政の行動で熊が出て来なくても済むようにするべきだと思う。


動物も植物もこの星の愛すべき同居人なのだから、、






てことがあるだろうか?

このブログネタ自体がちょっとおかしいね。

若い女の子なら喋りっぱなしの賑やかな雰囲気を楽しむのかな?

大人の会話には相手がイマジネーションを広げて言葉を返す"間"が欲しいね。

一旦相手の言葉を飲み込んで言外にある意味を感じ、返す言葉を選ぶのは楽しい作業だと思う。


時には沈黙が、しゃべる以上の意味を伝えることもあるね。

間と沈黙を上手く使うのが大人の会話。

あっ、、 でも、もっと大事なのは相手の話をよく聞く。 そして自分の価値観で否定しない。 だと思う。
世界で最も知的能力が高い民族を知っているだろうか?

アインシュタインの名を出すまでもなく、ユダヤ人であることは衆知の事実と思う。


では、なぜ彼らは片っ端から天才を生み出しノーベル賞を独占しているか、というと、それは彼らが神に選ばれた民であるから…


ではなく、ちゃんと理由がある。


それは彼らが国を失い世界を流浪するなかで、民族の消滅を防ぐため必死で編み出した秘法があるから、と言ってしまおう。


その中で最も重要な教育法の一つを紹介しよう。


日本では小学生の息子が学校から帰ってくると「ちゃんと勉強したの?」とか「宿題やんなさいよ!」


気の利いた親なら「わかんないことがあったら教えてあげるから聞きなさい」


そうでない親は塾に送り込んで、ゴミがいっぱい詰まった息子の脳味噌に更に多くのゴミを詰め込ませようとする。


いずれにしても上から目線であり、効果としてたいして変わらない。


このゴミは学問といって、生まれた時からゴミだったわけではない。

ただ我々がケツの穴から食わして口から排泄させるからゴミになってしまっただけ。


ユダヤ人の家庭では息子が帰ってくると「今日はどんなことを教わったの?」と聞く。
そして「お母さんにも教えて」と説明させて息子を即席学者にしてしまう。


そんな毎日を繰り返して育った子供がどうやって学者にならずに済むのか(笑)


これは現代の脳神経科学で分析され、入力された情報は一時保管所に置かれる。
出力する情報は必要情報として選択され脳内のハードディスクに格納される、と証明されている。


お子さまをお持ちのお母さんは今日からでも試してください。

「宿題やったの?」ではなく、宿題で身につけたことを教わって、そして誉めてあげてください。


外に出て何かを体験している子供なら年齢の下限はないらしい。
早ければ早いほど良いとのこと。

がんぱってね
先日友人と飲んでいるとき「プラスになる」という言葉が何度か出てきて、ちょっと気になった。

「プラスになる」ってなんだ?

商売の話なら単純に売上が上がるということだろうが、人生においてプラスってなんだ?

ちなみに私は人生をプラスマイナスで計ったことは一度もない。

努めてその時自分に出来る最高のパフォーマンスで向き合い、時には自堕落に怠けていた。

しかし自分の人生を損得で計る、という発想を持ったことはない。

そうかといって、この「プラスに…」という言葉を何度も聞いたことがあるので、どちらかというと私が少数派なのだろう。

この事実に気がついてからずっと考えているがやはり理解できない。

おぼろ気ながら答えらしきものがあるとすれば、人生は時間だと考えている。

誰でもいつかは死を迎えるのだから、残された時間を大切に使いたいと思う。

愛する人達と共に過ごし、食いたいものを食い、やりたいことをやる。

それらを実現するために金が必要というなら、嫌々働こう(笑)

しかし仕事そのものだって愛することが出来るし、経済的な理由で嫌々集う人間を愛することだって出来る。

人生は自分の向き合い方で豊かにも貧しくもなると思う。

大事なのは金を目的と思ってはいけない、ということ。

金はどんなに頑張っても人生を豊かにする一つの手段であり、幸福そのものではない。

プラスに… という言葉自体が言霊として、それこそ君の人生にマイナスに作用しないよう祈っておきます。

こういう話をすると、単なる電波オヤジに分類され、信用度が著しく低下することを承知の上で私の記憶に印象深い不思議な体験を記録しておこう。

実際私の人生は不思議に満ちている。

その日、小学生の私は母に手を引かれ渋谷警察の裏手にある金王八幡に立ち寄った。

今にして思えば母は八幡信仰を持っていたのだろう。その日以前も以後も何度行ったかわからないほど身近な神社である。

ちなみに私は渋谷駅前にあった大和田小学校に通っていたので夏祭り等でなにかと縁のある神社でもあった。

そのせいかどうかは知らないが、いつものように母の横に並び、渡された小銭を賽銭箱に投げ入れ、朱色が眩しい鈴紐を前後に揺すった瞬間、なんと鈴の割れ目から青白い稲妻が現れ、音もなく賽銭箱に吸い込まれていったのだ。



驚いた私はすぐ母の顔を見上げたが母は私の目を見て優しく微笑んだだけで何も言わなかった。

あぁこれは当たり前の現象なのか?それとも母には見えず自分にしか見えなかったのか?と一瞬悩んだが、母の微笑みにかき消されてその不思議体験はその後何十年も私の記憶の片隅に眠ることになる。

そう、母と永遠の別れを迎えることになったあの1週間まで、30年以上も静かに私の中で眠っていたのだ。

つづく(笑)

米国で暮らした経験がある人なら彼らが古い日産車を愛情込めて「ダッツン」と呼ぶことを知っているだろう。

もう随分昔の話だが、私がLAで暮らし始めた頃に出会った日本人のメカニックが嬉しそうに教えてくれた。

「いいかい、米国では日産車のことはダッツンと言うんだよ。そうでなければ通じないからね」

それ以来、素直な私は常に「ダッツン」と言ってみたが通じたためしがない。
しかたなく「ニッサン」と言えばちゃんと通じる。

その後、人生の半分近く外国人の友人や取引先と付き合い、フランクフルトのバーでコロンビア人ホステスからイタリア人でしょ?と言われる程度(笑)には英語が話せるようになった。

で、最近気づいたのだが米国人は決して「ダッツン」とは言っていない。
ちゃんと「ダットサン」と言っているが「ダッ」に強いアクセントを置き「トサン」の部分を英語特有の中途半端な発音で表現するため、英語に不慣れな日本人には「ダッツン」と聞こえるようだ。

と、ここで紹介したところで、今や「ダッツン」という名を何人の米国人が知っているだろうか?

きっと私のようなオヤジの専門用語だろうが、しかし「ダッツンズィー」の美しさは永遠だ!とは言っておこう。

ただし私の古い友人が所有する432Zを運転し、縦列駐車しただけで手首を捻挫したのは結構最近のことだったりする(笑)
世界のどこかで経済的にネガティブなニュースが出ると、すぐ円高が進み、為替を扱う各企業は「リスク回避の円買いが入り…」と説明するが、当局がいつ為替介入するかわからない国の通貨がリスク回避になるわきゃない!

今は隙あらば自国通貨を安くして、現状安すぎる中国通貨に対する競争力を蓄えようと各国金融当局は必死で通貨安競争をしているのが実際のところだろう。

んで我が国の当局はぽっかりお口を開けて見てるだけ!

GDP比160%もの借金を抱えながら円の価値はどんどん上がっていく…

別に信用されてるからじゃないよな。

今後、経済競争の主戦場になる中国市場から追っ払われただけ。

蚊帳の外に干されて、まだのんびりお茶をすすっていられるのは、彼らが役人で、何をやってもやらなくても倒産もしなけりゃ給料も減らないってこと。

たく!、役人の仕事はよー!

と、昔からよく使われるフレーズだが今回の為替介入ほど酷い仕事ぶりもないだろう。

彼らの目的は進む円高を阻止することのはずだが、喧嘩をしたことがない僕ちゃんたちは勢いをもって突っ込んでくる敵を真正面から受け止めてしまう。

それじゃケガするに決まってるよな。

勢いのあるやつは一旦いなして後ろからぶん殴るのが勝利の方程式。

為替も同じく、一旦敵が引き始めたところに狙いを定めて一気にたたみかけるんだよ!

さすがに80円を切ってくれば敵もびびって引き始める。 そのタイミングで一気に突っ込めば、今まで外から様子を眺めていた連中が、すわっ!トレンドが転換した!と参加してきて本物になる。

まずは87円越えまでなにがなんでも引っ張るしかない。

しかし切り返しのタイミングで切るはずの0金利や金融緩和という最後のカードも全然関係ないタイミングでもう出してしまった。

もうだめかねーこの国…

と最近の円高で酷い目にあってるおじさんがぼやきました、、というお話
私には娘がいる。

小さなころからいつも空を見上げていた。
最近、彼女のブログで大人になった今でもいつも空を見ていることを知った。

きっと彼女はその理由を知らずに見上げているだろう…

しかし私は知っている。

それはそこが君の故郷だからなんだよ。

孤独に育った私に神様がくれた最高のプレゼント。

なぜプレゼントを貰えたのかは君が母親になったときに話してあげるね。

今は大変な時だが、そういうわけで自分を信じてのびのびがんばれ!!

今日の書き込みがブログ一号になります。

無限とも思える巨大なブログ群の中から、ここに来ていただけた

ことに感謝します。


長~~~~い(笑)のに耐えられそうな方は、これも何かの縁と

諦めて、宜しかったら今後お付き合いください。


アメブロの登録自体は昨秋だったのですが、私の悪癖である

”完全主義”が今日までブログのスタートを妨げていました。



それでは初回のテーマ、その完全主義がどのように人生を

妨害するのか、について書きたいと思います。



私は物心がついた頃から完全主義で、妥協してなにかと

関わることが出来ない。


生来、美術が好きで一度作り始めたら納得するまで雷が

落ちようがイカが降ろうが絶対に途中でやめない子供でした。


子供のうちは周囲の大人からその個性をプラス評価され、

ますます信念を堅くしていったわけです。


成長するにつれプロジェクトも高度化し、構想自体が肥大化

して行きます。


すると構想の段階で、練りに練り、捻りにひねり、発表後受ける

であろう評価まで予測し、結果として納得することが出来ない。

そう簡単に着手するわけにはいかなくなる。


これは第三者的に見ると何もしない、行動しない男

ということになります。


いや、実際、行動がともなわなければ人生は何も変わらない


私がサラリーマンを辞め、自立してから悩み苦しんだ末、

得た結論は”行動主義”です。


リスクもある。失敗もする。しかし失敗しなければ改善点はみつからない。


自分の完全は自らの価値観の範囲を超えず、どんなことでも

必ず改善が必要になる。


失敗と改善を繰り返し、やがて社会で受け入れられる物になる。


失敗こそ足を踏みしめるべき出発点なんですね。

というわけで、私の新年の抱負はやっぱり今年も ”行動” あるのみです。