母が亡くなる前にちょっと拗れた友人が、
県を跨いでアポなしで会いに来た。
誕生日だからと紫陽花の鉢をもって。
とても、ビックリした。
母の死をなかった事のように過ごしてる私に、
質問のナイフで、切るようなことはせず、
その子の母親と、
その子、娘ちゃんと、わんちゃんと来て帰った。
車で帰って行く姿を見て、
私も母とチビを乗せて行動してたこととリンクして懐かしくなる。
フリルの白の紫陽花と白苺と赤苺のケース。
お祝いされるなんて思ってなくて。
母のところに供えて忘れた苺は、カビが生え、
まだ、一週間もしてないのに、
鉢植えの紫陽花が枯れ始めた。
良く無い気が充満してるのか?
死んだことをなかった事にしたから、
母が、怒ってるのか。
怒ってもいいんだよー。
死んだ気がしないし、
毎日Amazonのエコショーで出てくるし、
顔も合わせてる。
同じ部屋で寝てるしさ。
でも、悲しくないのはなんでかな。
仕事が、必死だから?
死んだことを認めてないから?
年齢的に、最後的に、
つらくなかったと思えるから?
毎日変える母のお水は、
一緒にイタリアに行った時に買った
ベネイアングラスに注ぐ。
朝、それを飲みもう一杯水を入れて飲む
昨日、今日、とカウント
そして、明日の分として供える。
いつもありがとう!大好きだよ。と
唱えるルーチーン。
口をつけるなんて!と思うかな?
嫌なら化けて出て来たらいいやん。
なんて、死んだ事認めてないんじゃ無いの?
と苦笑い。
必死で前に進んでます。