マイナーチャクラが起動し始めたので、既存のチャクラをおさらい的に書いてみました。
チャクラに関して、ヒーラーを職業としている人も、案外何も知らなくて雰囲気でやっているのが日本の現状です。(チャクラシステム理論は輸入概念なので尚更感ですが)
では、チャクラシステムから何を学ぶのか?
それは決して、学ぶ事を学ぶのではないのです。
学ぶ事を学びだと思って生きている人は、子どもや大人関係なく年齢関係なく沢山存在しています。
スピリチュアルはそのような人に対する補助輪として存在しているだけです。
チャクラのおさらいの前に、学びに関して下記にまとめました。
◉ 「学ぶことを“学び”だと思ってしまう人」とは?
➤ 一言で言えば:“知識や体験を積み上げれば、自分が変わる”と思っている人。
それは、以下のような特徴を持ちます
1. 「変わること」が目的になっている
• 成長したい、自分をもっと良くしたい、自分を完成させたい…
• それは一見ポジティブに見えて、実は「今の自分はまだ未熟」という前提」を繰り返し強化している
👉 「学ぶ事を学びだと思っている人」は、“まだ完成していない自己”という幻想にとどまり続ける
2. “理解してからじゃないと動けない”と思っている
• 腑に落ちたら行動しよう、わかったら選ぼう。
• でもその“腑に落ちる”という感覚も、実は過去の自己認識の延長でしかない
👉 真の変容は、理解よりも“先に体ごと変わってしまった”という非言語的リアリティから起こる
3. 「学び」を“所有するもの”だと思っている
• 講座を受けた、本を読んだ、知識が増えた、自分は変わった…
• それはまるで“学びを自分にくっつける”ようなプロセス
👉 だが本当の学びとは、“自分の中から余計なものが剥がれ落ちること”であり、“失うことで光が宿る”もの
4. 外部の存在に“教え”を委ねている
• 師、先生、ガイド、宇宙、神、メソッド…
• 「教えてくれるものがある」=「自分の内にはまだない」という分離の信念
👉 真の学びに入った魂は、外から受け取ったものを“内なる神の鏡”として読むようになる
(教えを信じるのではなく、“響いたかどうか”だけで動く)
真の学びとは?
それは、「ある一点で、“すでに在った”自分と一致する」ことです。
知識やスキルではなく、“今この瞬間の自分の在り方”が、何かと深く共鳴してしまったその瞬間──
魂は自然に「方向を変える」んです。
それを人は、あとから“学びだった”と呼ぶだけです。
まず、学びとは“体験によって響きが生まれる場”
「チャクラの学び」というのは、各チャクラに宿る“魂の主題”が、体験や現実を通じて響き出し、通電することを指します。
学ぶべきことがあるのではなく、そのテーマにおいて“魂の音が鳴る”瞬間が訪れたとき、チャクラは回り出す。
チャクラ別に、“叡智”に至る鍵をこう言い換えられます
第一チャクラ:「自分がこの地にいてよかった」と身体が肯定したとき
• 家・土地・食べ物・所属の有無は関係ない。
• たとえ孤独でも、「ここで呼吸できる」ということに安心が宿ったとき。
• 自分が存在していいという生命レベルの了解が降りた瞬間。
👉 根が降りる=チャクラが開く。
第二チャクラ:「欲望を否定しないまま透明でいられる」とき
• セクシャリティや物欲に善悪のレッテルを貼らず、
• 欲望を隠さずにただ流して生きる透明さを体感したとき。
• それが“エゴ”ではなく、“命が動く”こととして理解されるとき。
👉 欲望=エネルギーと再認識したとき、チャクラが循環する。
第三チャクラ:「私はこれでいい」と自分の火を抱きしめたとき
• 他人との比較がなくなった瞬間ではない。
• 比較して苦しんで、それでも「それが私らしさだった」と認めたとき。
• 自己否定も、プライドも、どちらも“自分の火”として納得されたとき。
👉 自我の火が暴れるのではなく、燃えていることが美になると、チャクラが光る。
第四チャクラ:愛が“するもの”ではなく、“溢れて止まらないもの”になったとき
• 許さなきゃと思っている間は開かない。
• 誰かを赦したくない気持ちを見つめた末に、勝手に愛があふれてしまったとき。
• 愛は技術ではなく、“開いた空洞に流れてくる音”だと気づいたとき。
👉 愛が“選ぶもの”から、“起きるもの”に変わると循環が始まる。
第五チャクラ:自分の声が“人のため”でも“自己主張”でもなくなったとき
• 何を言えば正しいか、通じるか、喜ばれるかではなく、
• ただ、「今、ここから湧いてくる響き」を抵抗なく出せた瞬間。
• その声が自分自身を癒したとき、それはチャクラが自己表現に同調した証。
👉 喉が“他者”のためではなく“存在の証”になると、解放が始まる。
第六チャクラ:知ることと見ることが一致したとき
• 説明ではない。直感でもない。
• 自分の内に起きた“気づき”が、現実と響き合ったとき。
• 洞察とは、“魂の視点と現実の層が重なる瞬間”に開く。
👉 知性ではなく、視座の透明性がチャクラを開く。
第七チャラク:何も求めずに“宇宙と静かに繋がっていた”と気づいたとき
• 瞑想していても、スピリチュアルなことを何もしていなくてもいい。
• ふと空を見上げて「全てが美しかった」と感じた瞬間、あなたはすでに源と接続している。
• 開こうとしなくても、“ただそこにある”という静寂があなたを開いている。
👉 霊性は、意識して掴むものではなく、“降りてきたことを受け容れる器”のようなもの。
チャクラシステムからの学びとは何か?
結論として──
学びとは「気づき」ではなく「響き」
響いたものが、身体と魂を“同じ場所に”戻したとき、チャクラは自然に循環を始める。
学びを“蓄積”ではなく、
“一致”と“透明さ”として
捉えること。
それが、チャクラにとっての
叡智です。