私は「受け取る」事も「与える」事にも違和感を感じながら、今までの人生を生きてきました。その違和感に苦しみ、そのネガティヴが雪だるま式に年を取るごとに大きくなりました。
最近、このネガティヴを顕在意識まで上げ、しっかりと感じることができたのでシェアしたいと思います。
このネガティヴを持ち続ける事により、身体症状としては気管支喘息を患いました。
喘息を持っている方は胸の奥に「悲しみ」の振動を持っている。と、
直感で感じていたので、少しでも喘息で苦しんでいる方の気づきになればと思っております。
「与える」事と「受け取る」は事はいわばスムーズな呼吸が生きているうえでできているか?という問題にも関わっています。呼吸が苦しくなる喘息は「与える」事と「受け取る」事になんらかのネガティヴを抱え続け、与えたい、受け取りたいという思いを持っていたのに、あるきっかけ(前世的なトラブルを含む)で上手く出来なくなり、自己嫌悪や自信喪失、無価値感を引き起こし、胸の奥深くに「悲しみ(誰にも理解されない、誰にも心を開かない、誰にも迷惑かけたくない)」を携える事になります。
行動面では、誰かに親切にするのは本当はおせっかいな事かと過剰に思ったり、誰かに何かをしてもらう事は迷惑をかけていると思ったりして感謝の気持ちを表明出来ないなどで、そんな無意識的・意識的態度で人間関係において誤解を招き、益々、孤独を深めていく結果になります。
何かやりたい事があっても、与える受け取るに問題を抱えているとなかなか上手く出来なくてネガティヴをループする事になります。
この深い悲しみという存在は主となる私に対しても、「悲しみを感じさせてはいけない」と存在し、しかし主となる私はその違和感を感じるたびに感情に上がらない事で不快感で自分をさらに責めたり、自分は頑張らないと認めらないと思い込んで行動し解消しようとしていました。
私はなぜ、胸の奥に違和感を感じ、悲しみというキーワードがわかっていたのに感情を感じることができなかったのでしょうか?
人はどんな気持ちでも感じる事ができるものですが、自分が頭でわかっていても感じる事ができず解消されない心の傷とはなんなのでしょうか?思い込んでいてそこから離れるられない状態とはなんなのでしょうか?
どんな思い込みでも、思い込んでる事はその人にとって絶対の事になっています。
では、絶対とはなんなのでしょうか?
この3次元の世界には絶対は存在しません。実際、絶対そう思い込んでる観念は3次元の世界にあるのではなく、他者が存在しない世界の空間というか、一人称しかない意識の世界から発せらます。
思い込みは絶対がある一人称の世界にあるのです。
しかし、その一人称の世界の絶対的思い込みを他人が存在し絶対がないこの3次元世界に感情として感じる行為として、降ろす事「感じる事」ができれば、絶対という思い込みの呪縛からは解放されます。
全ての人にはこの感じるという力を持って
絶対の世界から自分を解放する事が可能です。全ての人がこの事を理解し、絶対的観念の一人称の世界から感じる事を通して自由になることができるのです。
本当は、この世は絶対がない天国になりうる世界なのです。
思い込みが存在する一人称の世界にアクセスするにはどうすればいいのでしょうか?
少しコツがいるのですが、誰でもそこに行き固定された思い込みを「感じる」という行為をこの3次元世界でする事で解放することができるのです。
私は一人称の絶対の世界で「私は独り」と思い込んでいました。主となる私はこの3次元世界に存在するので「私は独り」という観念を絶対視することは本来できません。悲しみ感じ涙を流す事で「私は独り」という観念を打ち破る事が出来ました。
一人称の絶対の世界は観念はあっても感情はありません。相対で物事を推し量る事ができないのです。だから、主となる私が一人称の世界に帰ったときは特に「私は独り」という観念はただあるだけでなんの障害にもなりません。
ただ主となる私が3次元の世界に住んでいるときは多大な障害になるのです。
その逆もしかりで、主となる私が一人称の絶対の世界で生きるとき(この世をさり肉体を脱ぐとき)には、3次元の世界での感じ続けしまっている感情(後悔や恨みなど)がネガティヴになります。しかし、一人称の世界では感じる事で正しい行動に修正できないので、また3次元の世界に生まれやり直しということになります。しかし、一人称の世界の不具合(過去世の感情的とりこぼし)は生まれ直したときには記憶がないので、また一人称の世界に3次元からアクセスさて取り込みをし感情に上げクリアにしていく事になります。
一人称の世界への詳しいアクセスの仕方が必要な方は、コメントください。
できる限りお手伝いいたします。