やー、あれから5年経ちました。
熊本地震。。。
そそ、実はここに住んでます。笑
折角の機会だから振り返ってみます。
🙂🙂🙂
多分余震は21時半ぐらい?
妹とソファーで寝ていて
「みなさんのおがけでした」を見ていた。
ドンっ!!
大きい音がして
小さい揺れが徐々に大きくなり
グワングワン揺れが起きた!!!
とても長い時間揺れた。
私達姉妹はソファーから転げ落ちたり
揺れが大きくなると同時に
キャーーーー!!!と言った。
お互いに力いっぱい
しがみついたよーな気もする。
その何分か後?
携帯の緊急事態の音が鳴った。
マンションの非常ベルも鳴り響いていた。
冷蔵庫も食器棚も
机も鏡もなんかめちゃくちゃだった。
自分たちの部屋に行くと、
妹の部屋はドアに棚が塞がって開かない。
私の部屋の大きな鏡が割れていて
漫画や洋服何もかも飛び散らかっていた。
外に出る為上着を来た。
そして、母に早くー!!!!!
といい、玄関を出た。
私達はマンションの10階以上に住んでいたので
体感ではかなり大きく揺れた気がした。
そしてそこから急いで
地上まで階段で降りるのだが、
人生でこんなに長いと思ったことはない階段
だった。
父はその日は夜勤だった。
母と私と妹で軽自動車の中一晩過ごした。
近所の人はみんな外に出ていた。
近くの色んなマンションの非常ベルが鳴りっぱなしで
非常ベルの音が怖さを増させた記憶がある。
またどこから聞こえるサイレンの音も不安が増した。
車の中で、
携帯に県外の友人から安否の
連絡が来たのを覚えている。
マンションに帰る気は1ミリもなかった。
あの大きな揺れから何度も何度も
小さい揺れや大きい揺れが続き
車の中でもとても怖かった。
朝、恐る恐るマンションの部屋まで
またあの長い階段を登る。
そして、
部屋にいるのが怖くて
床に散らばった服から動きやすい服を選び
とりあえず
仕事へ向かう準備をしたと思う。
仕事では
みんな同じ気持ちなのに、
私は家の中がめちゃくちゃすぎて
メンタルもかなり落ちていた。
顔色も悪く
横になって休みなさいと言われ、
早退したのが記憶にある😅
医療の現場で働いていたのにポンコツだった。
その日は来てる人来てない人まばらだったよーな?
仕事も片付けだったよーな?
ありがたかったー。
意外とメンタル弱かった。
帰って家族で割れた食器やら
飛び散ったガラスやらとりあえず掃除して、
ひと段落し、
妹と避難所を見に行ったことを覚えている。
やー避難所まで行かなくて大丈夫かな??
なんてこの時は思っていた。
早く夕飯を食べ
お風呂に入り
ベッドで寝た。
その夜中、
大きな揺れがまた私を襲った。
また?!
地震だ!!!
意外と2回目は落ち着いていて、
またかよ。。。と言う思いだった。
飛び起きて、とりあえず羽織るものを着て?
多分いつでも出るよーに
ジャージ着てたのかな?
2回目は停電して何も見えなかった。
携帯は多分ベッドから落ちてしまった。
携帯の姿が見えず、携帯は諦め、
とりあえずまた
長い長い階段を家族で駆け降りた。
2回目の地震で非常ドアが十分に開かなかった。
ちょーどドア下は地面が隆起していて、
ドアがつっかえており、
開かなかったのだ。
妹と2人で一生懸命に押した記憶がある。
その夜は前より
怖い感情に包まれた。
これ、やばいやつかも。。と。
そして、また車で一晩過ごす。
次の日の朝はマンションに行くのが怖かった。
前よりもとても怖かった。
マンションの駐車場の地面は
隆起してボコボコで
壁も剥がれていた。
携帯を探しにマンションへ行く。
階段を登るのがきつくて
妹が後ろから私の背中を押してくれて
階段を一つずつ上がっていった。
携帯はせっかく片付けた漫画や洋服の下に
落ちていた。
どーやら
2回目の地震は
電気、ガス、水が止まったらしい。
仕事に向かう前に
私達家族は小学校へ向かう事にした。
これからどーするかを
話す為家族会議した気がする。
🙂🙂🙂🙂
これが余震と本震の私の断片的な
記憶です。
本当は生理が始まったやら、急にお腹が痛くなった
やら、、、、色々話がある。笑。
その後の1週間も色々な経験しました。
経験させてもらったんかな?
避難所に同級生が来てくれたり。。
もぅ帰るのが面倒になり、職場に泊まったり。。
友達の家やいとこの家にお風呂を借りたり。
電気やガスや水のありがたさ。
あの時は色んな人に助けてもらって
自分自身もかなり開き直って生きたと思う。笑。
本当に色んな人に感謝しています。
あの時はありがとう。
今も元気で生きています。
