ノーベル賞授賞式からかえって、2,3日したある夕方、マザーに会いたいといって、ひとりの老人が尋ねてきました。 スラムにいるひとのように、痩せており、着物もぼろぼろ・・・、その老人はマザーにニコニコして、手をさしだしました。その手の上には、ほんのわずかなお金がのっていました。

 『マザーテレサ、おめでとうございます。私も何かおなたにお祝いをあげたいとおもいました。 これは、今日私がカリガート大寺院の前に座って、人々からほどこしてもらったお金です。たったこれだけですが、マザーに差し上げたいのです。そうぞ、うけとってください。』

 マザーは一瞬迷いました。これはこのひとの全財産です。これをもらってしまったら、この老人は今夜のご飯も食べられないでしょう。

 でも、もし断ったら、、このひとの心を傷つけてしまうのです。

『ありがとう。いただきます。おなたの愛がいっぱいつまっているんですものね。すばらしいプレゼントですよ。』

 その夜、その老人のことを、シスターにはなして聞かせました。


『私にとって、本当に価値あるプレゼントは、こうしたものです。

世の中の人は、余っているもの、自分になくても困らないものを、寄付しがちです。

でも、それは本当の愛ではないの。

本当の愛を誰かにあげるときには、自分も傷つくものです。痛みがあるものです。

 それがないと、生きていけないとか、生きていくのがイヤになってしまうもの、自分が大好きなものを、

ひとにあげてしまう。これをしたら、自分は傷つくを分かっていても、あげてしまうのが愛なのですよ。

 そして、誰かと愛を分け合いたいと思うなら、自分もその痛みをしなくてはダメなのです。』


『愛の心は、行動で示すべきです。見返りを求めないで、ね。そう、今日のあのおじいさんのように。

あのひとがどんなに大きな愛の心を持っていたとしても、今日来てくれなかったら、私にはそれが分からなかったでしょうからね。』


 日本のある校長先生が、マザーに聞いたことがあります。

「マザーのお仕事のお手伝いをしたいという生徒達がいます。カルカッタに行かせていいでしょうか?」

 マザーは、にっこり笑って答えました。


『ありがとう。でも『愛』をしめすのなら、カルカッタに来る必要はありませんよ。

世界中どこにでも『カルカッタ』はあるのです。世界中どこにでも、貧しい人はいるのですよ。

 あなたの周りを、見回してごらんなさい。目の不自由な人に新聞を読んであげるとか、ひとり暮らしのお年寄りの、話し相手になってあげるとか、そんな、ほんのちいさなことでよいのです。その小さなことの中に、大きな愛の心を込めてください。』 と。