最近
脳裏から
離れない
映像がある

チューリップが切られていく光景
藤棚の藤の花が切られていく光景

ニュースか
なにかだと思う

花に罪はない

しかも
多くの人を魅せるため
咲かされたもの

人が密になってしまうから
なくす

なくす?

いや
私達が行かなければ 
いいのではないだろうか

人が人を守れと 
叫ばれる今

花は守ることはできないのか

もの言えぬ花は
その
命を
突然絶たれる

桜のときに
気が緩んだから

またGWに
気が緩んで

人が
花を愛でに来てしまうからか

切ってしまえば来ない

ずいぶんと 人から見ると
人は信頼されていない
生き物のようだ

守れないのだろうから 

花は消えた
自らではなく
人により

どこに咲く花だろうが

散歩にでて
ふと川岸の荒野に咲いている
名のわからぬ花に

命を想うことがある

花を踏まぬよう
ヨロヨロと
自転車を漕ぐ
つかの間の息抜き日

いろんなことが
ありすぎて

いろんなつらいことを 
感じ
味わい

誤解され
誤解し

罪を想い
罪を謝り

落ちて
あがり
また落ちて、、

そんな、毎日
子どもたちも
大人も
みんなみんな
地峡の人々は
つらい

でも

わたしにとり
2つの
映像は強烈な記憶になった

夢にも出るほどつらい映像

祈った
ごめんなさい 
なにに
花に
弱さに

もともと実は
切り花が好きではない

花は地に咲き
地に落ち朽ちるものであると
考える

だから
切り花が好きではない

話が離れたが
ここまできたら
もうれつもうれつ
謙虚に生きなければ

新しい時代を
生き抜くことはできない

繰り返される
コロナのニュースを見つめ

ポロンと来た
ラインの映像に
救われる

私達ハラウ
ただひとりのカネ
Kめ、、

本当に毎週がんばってくれている
双子のおねえちゃんと一緒に、、、

人はみな
地峡とともに
終焉の道を歩んでいる

罪を背負い
膨大な記憶にさいなまれながら

あとどれぐらいか、わからない 
万年か
億年か

変革の時に
人は人というシンプルな生き物に 
戻ることはできないだろうか

自給自足とか
スローライフとか 
ライフスタイルではなく

日々
人とは
どういう生きもので

残すべきもの
必要なものは
なんなのか

考えて進んで行きたいと思う。

今日、きもちをあげてくれた
ナワヒネハアレヴァの
唯一無二のカネ

kめ
一家の協力と練習の成果!

おおきな成長!

おかあさん
ありがとうございます。


こどもたちの心も、しんぱいです。
とっても元気で
大きく大きく動いて

でも心配


大丈夫だよね

大人より
きっと
いろんなことを感じ取って
ばりばり
成長していくんだろう!

そして
みつけた一枚
元気がでます!
すんごいハワイ島の
ストロングな美しさがあります、、

明日は
うわむく
アタシで、ありまように、、、
もともと家好きな
アタシだから

ステイホームは
苦ではない

けど

猛烈
負のスパイラルに
はいるときもある

そういうときは
近くのコンビニだけでも
買い物にでたり

メルカリで
サメグッズはないか
漁るように見たりする


フラはおうちで踊れるので
晴れていれば青空を見て
雨ならテレビ見ながら
踊ってみたり

と呑気なことを
書き連ねたいところだが

ナーバスになっている
自分がいる

いつも買い物へいく
スーパーは、
マックや靴屋、
洋服屋などかたまっている
小さな複合施設

昨日
ほぼ半分以上の
お店は
休業に、、、、

なのに
その施設の
人口密度は変わらない

息苦しさと
すこし怖さがあり
足早に外へ飛び出し
深呼吸

ものものしく
ビニールが、レジにはられ
手袋をはめたレジの人々

落ち着きのない様子で
そわそわと
ソーシャルディスタンスで
ならぶお客さんの列

見たことのない
おとうさんという人種、、、

だれしもが
味わったことのない
ゴールデンウィーク

5月6日で
非常事態宣言が解除となるか、、、

私の中で
100パーセント
ノーだ

GWの結果は、その2週間後に出る
さらに
たとえ休み中
感染者がわずかだとしても
PCR検査を受けられる場所は増えている

しかもGWなど関係なく
医療従事者の方や
配達、交通、スーパー、デリバリー
あらゆる方々は働き続ける

そんなことをおもいつつ誕生日の
歌を歌い手を洗い

負のスパイラルから
逃げ出そうと
密林に迷い込み
ポチッとしたがため
うちまで配達に来なくては
ならない配達員さんがいるわけで

最近は
玄関においておいてくださいというと
おいてくれる

教室は
ビデオレッスンだが
直接会わなければ会わないで
いろんなことが
ある


ほんとうに
何を信じて未来を考えればいいのか

途方に暮れる

亡くなられている方の数は増えている
感染者は
じわじわと
増え続ける

心のコントロール
体のコントロール

みんなが保てるように。
わたしが保てるように。

もう二度と
過去にあった
ルーティンの穏やかな日は
戻らない


新しい時代がくる
コロナとともに
生きる日々は続く

哀しく辛く、
報われなず
ありえないような
やりきれない事は
たくさん
今も
日本のあちこちで起こっている

医療従事者である
私の周りの人は言う

もう医療崩壊は始まっている
アタシも、それは感じている。

もっと
辛い現場と光景に
みんなが
目を向け

命にかかわるものが
それぞれの間近で
共存している
恐怖を
すべての日本人が
目にすることが大切ではないかと
考えたりする

かといって
アタシかできることは
ステイホーム
祈ること
のみ


そして、途方に暮れる

布団にころかり
サメ次郎を抱きしめるときが
一番安心する瞬間
今日も無事に一日がおえられたと


目が開き
カーテンをあけ
朝というはじまりに
途方に暮れる

空は青い
アタシは生きている

「生きてるだけで丸儲け」

さんまさんの、格言を思い出す

そうだよなー

できる限りの
自分のルーティングワークをはじめる

そして
途方に暮れる

やっかいだけど
貴重な経験でもある、、、
だから
得られることもある

とか書いて
また
途方に暮れる

ギリギリだとかいう
瀬戸際を
今年の、おわりまで
日本はつづけてゆくのだろうか、、、

ワクチンは来年

そして
わたしは途方にくれる

そして
なんとか
風呂に入り

サメ次郎を抱きしめ
祈り
眠る

ものすごい
時代をいま、
わたしは生きている

そんなおり
突然でてきた15年前の写真


コロナウイルスなんて知る由も
なさすぎる日々

でも
今のほうがいい

だから結果よしとするか、、
アタシは
ふつうの人だ、、、

あの時の
あの人たちからすれば

ずっと書くのを
我慢していたが
もうれつに
恥ずかしく感じて

吐き出してしまおうと
おもった

アタシがテレビ業界にいたころ
多くのプロデューサーやら
ディレクター達は

視聴者を「ふつうの人たちはさーー」
会議や飲んでるときに
呼んでいた

じゃ、テレビ業界の
あなたたちは
ふつうの人ではないというのか、、、

芸能人は普通の人ではない
その手に術をもち
生きることができる
芸で生活をする人達だ。

普通の人にはないものを持ち
普通の人達の感覚さえもちながら
生きることに
たけている人たちがいる。

だけど
テレビ関係者は
ただの
テレビ番組をつくる
会社員
自由業
あるいは技術者
職人、、、

すべてのテレビ会社の人々がそうだとは
決して言わない

多くは
局や映像技術会社のサラリーマンであり、
フリーランスてあり

ただ働く場が
テレビ媒体なだけだ

なのに

この大変な時代に
危機的意識のかけらもない
(ように見せているのか?
いや、ふつうの人でなく
テレビの人間だから
感染の危険を顧みず仕事を続けるのか、、
わからないが)

危機的意識を蚊帳の外において
自分たちは大丈夫だと、おもっているふう
アタシには感じる

報道ステーションのキャスターの方が
感染したと

報道があった

カメラをてれこにすりゃあ
ごろごろスタッフがおり
皆一様にマスクしてもぞもぞ
動いてる

クラスターが
生まれていないことが
奇跡のようなものだ

志村けんさんの死を
もってして
人との間隔をあけるのではなく

国に文句を言うまえに
「怖い!感染源になってはいけない!」

スローガンのように
いちはやく
プラスティックのマスクをし
コメンテーターの間や前に透明な
仕切りをつくるなり

しないのはなぜなのか

視聴者に
どれだけ
コロナウイルスに
きをつけなければいけないかを

表すことができる場であり
チャンスがあるのに

志村けんさんが
きっかけか?!

いまは、ネット社会だが
その昔は
テレビ放送報道は
警察より早く
事件現場につくことや
詳細を伝えるのが
いち早い時代もあり

ニュースもバラエティも
とても
大切なものだった

距離をはなし
ズームやスカイプで
中継で
マスクもしないで
スカスカにして放送しても

その反対側の密度は変わらないだろう

感染のリスクをもっても、
なお
最大限の防御をし
最新の情報を
伝えてゆく姿勢をもってほしい

もはや
視聴者のほうが
見抜いている

東北大震災の時のように
キャスターはヘルメットをかぶり
くりかえし
報道をつづけた

コロナウイルスも
変わらない
大災害
なのではないだろうか?

心持ちの姿勢が変われば
そうすれば
子どもたちでさえ

いったい
いま
日本は
なにに怯え
自分たちも同じ
次元におかれていることに
きづくだろう

「コロナウイルスは、怖いのだ」

テレビ放送関係者にとり
視聴者は
大切なお客様で
なければならないと
今でもアタシは業界にいないくせに
おもう

ビートたけしさんや
さんまさん
鶴瓶さんなど
元気ながら高齢な
大切な日本の
芸能人の方は
もう

あの狭苦しい局舎に
呼んでほしくない

ホンマでっかは、
再放送でいい、

ともすれば
さんまさんだけ
離れた部屋から中継とか
逆に
さかてにとって
おもしろいかもしれない

見えない感染者が
うじゃうじゃいる
テレビ局人は、

こんなときは
変な正義心に燃えるから

わーわー
現場はやってるんだろう

スタジオ上の
タイムキーパーや
スイッチャーの人たちのいる部屋も密だ

マスクだけじゃ
守れない

机上の空論ばかり討論するのではなく
ふつうに平和をもとめる
おなじ家族を持つだろう
人間として

危機的意識をもっと
感染数や
国の給付金だけの話でなく
出して見せてほしい

「お茶の間に、愛を」

なんだかんだいって
テレビは高齢化社会において
大切なもの

アタシが
あの世界にいられる
精神力があれば

まだいたかった
でもなかった

知る人も
もうひとりふたり

気をつけて
自分のことを考え家族のことを
考え
守りの、気持ちを強くもってほしい

テレビの力で
自粛への希望を
8割減への成功を

でなければ
日本は、医療崩壊とともに
ニューヨークと同じ道をたどるのだ

答えはでているのに、、、

アタシには
祈るしかない、、

うちで踊ろう、、、
ぐらいしか
今は
できない。



あたしにとり
おもいきり
勇気のいる作業だったのだ

病のようなものにかかる
テレビ世界では
もないことは
多くのスタッフが
わかっているだけに

冷めてしまったりしているのだろうか、、

吐き出したら
すこし楽になった

外に出したから
もう

私の体の中には
この感情はおいておかない

アタシはアタシ
去ってよかった
テレビから

でも
観るのは大好きだ

ふんばってほしい
いまのテレビマン達に