こんにちは

 

 

小学三年生男子の母をやりながら

ひとりひとりの奥深くにある尊厳の花を開かせるお手伝いをしています。

それにより、傷つけあう社会をそろそろ終わりにする方向転換をしています。

 

 

今読んでいる本に

「認識するから存在するようにみえる」という見出しがあります。

どういうことか?

 

これまでの人類は生まれてからずっと「見えるから、ある」「触れるから、ある」というように

目の前の現実社会が「ある」ということに疑問を抱くことは皆無に等しかった

 

 

その疑問を身近に感じたのが

先日、小学三年生の息子は近視の診断をうけて矯正というのか?共生?というのか眼鏡を購入して愛用しています。

一年のころから近視の傾向で、進行していくといわれました。学校で前の方の席でも見えなければ眼鏡にしましょう!と言われて早三年。

今年も眼医者でチェックしてください!という健診の紙を学校からいただき健診にいった。

1年生⇒1.0

2年生⇒0.7

3年生⇒0.3

0.3という視力

ずーーーーと1.2の視力の私にはどのような世界が広がっているのか?!

創造もつかない。

息子にどう見えるのか?聞いても比較するものがないから比較した聞き方や受け取り方では通用しない。

「どのようにみえるのか?」ありのままを聞くことをしていました。

 

 

眼科での検査前には眼鏡はかけない!と豪語していた息子でしたが

検査後開口一番に「おれ!眼鏡かける!」と元気に言いました。理由を聞くとよく見える!とのこと。

見えていなかったわけではないのですが、より遠くがより鮮明に見えるとのこと。

比較の対象ができたのでしょうね。そして選択肢ができた。

 

 



ここで思いました。

見えていないボヤ―とした世界と

はっきりと見える世界とどちらが本当の世界?!

 

 

ここには「見えるから、ある」というより「あるから見えるのが当然」

という世界が成り立つ。

けど、ここに意識の世界と物質の世界が関係してくると

見え方は10人いたら10人十色

100人いたら100通りの見え方がある

1億いたら1億の見え方がある。ということはそれぞれの見え方(世界観)があり

どれも正解である

ってことは

どんなことがおこっているのか?!

どんなことが起こってそれぞれの世界観を織りなすのか?!

 

 

違いからは違いや複雑さを生み出すが

同じからは違うという素晴らしさや可能性を生み出す。

それを表している数式が

0=∞=1

ここに尊厳という

誰にも傷つけられず誰をも傷つけることがない世界がある。

それをわかって生きる人が増えるとありのままにいられる(*'▽')

認識の軸を移動することで比較対象が生まれて選択肢が増える。

 

 

 

そんな認識の軸を移動していく技術をお届けしてます。

無意識でも意識でもこれ以上尊厳を破壊することに加担しなくて済みますよ

(*^▽^*)