相変わらず、子供が好き、かわいいという感情がわからない。


わたしの好きな辻村深月さんがエッセイで子どもは凄い、と無条件に言う人が苦手だと書いていて、それを読んだら心が救われた、という経験を以前、インスタグラムに載せたことがある。それから1年経って、その投稿もどこかにいってしまったし、わたしは学童のバイトをして子どもと関わる機会が増えた。

だから少しは考え方は変わったのだ。先ずは、救われた、とは思わない。辻村さんが、ひとりひとり違う人間を子ども、と括らないところに安心する。

わたしの好きな作家さんはそんなことしない。


そして、同じことを思う。子どもはみんなかわいいとか、子供の発想はすごいとか、子供というただの年齢が同じなだけの括りでまとめて物事をみている薄っぺらい人間は苦手だ。


話す内容が面白い子もいれば、自慢ばかりしつこい子もいるし、頭の良さも全然ちがう。

わたしには、全員を同じ子供で、同じ可愛さで、同じ面白さだとは思えない。

子どもだからかわいいではなく、その子がたまたまかわいいだけなのだ。


でもそうすると、学童のバイトでは贔屓してみることが出来ないから、わたしには向いてない。

話すなら面白い子と話していたいし、もしおもちゃで取り合いをしていたのなら、普段の行いでわたしは贔屓して好きな子におもちゃを使わせてあげたくなる。


だから薄っぺらく、子ども好きって言う人間も必要なのだ。わたしは苦手だけど。