普通を獲得するための人生
自分自身の在り方を探し続ける人生だった。自分の人生しか知らないし、両親とはどういう存在かも、自分の家の中のことしか知らないで育つ。感情は置いておいても、私の家は変な環境で、変な対人関係だったんだなぁとつくづく思う。自分が存在していたらいけない気がする、価値がない…って思ってきたことそれが、私の普通だったけど(←悲しい)存在が喜ばしい、生きてるだけで価値があるそれが当たり前に思えていたらある、と思うことさえない。存在してていいんだ。価値があるんだ。そう思えるようになることが人生の目的になっていて。親とのコミュニケーションにおいてもどうしたらいいだろう?と考えているのは親ではなく私だけ。人と人との関わり方って、人によって違うものではなく正しいパターンは一つだと思う。適切な距離感、自分の尊重と相手への尊重道理にかなっていない人に、道理どおりにしてください、とお願いする構造は不自然だな。私を雑に扱わないでください、私の気持ちを踏みにじらないでください、話し合いましょうこんなこと、お願いしないといけないの。理不尽だしやってられない。不公平だけど、たまたま私はそんな環境だった。生きてていいの?どうなの?っていう深刻な状態のときから、何年かかけて、今は、存在価値がない、と思わないくらいにはなれてきた。けど、まだまだ。味わったことのない気分が、まだまだたくさんあると思う。想像つかない。