この44年間、とにかく親不孝だらけ。

親孝行なんてしたことない。

小中高とあらゆるスポーツ特に陸上競技でかなり目立った頃、それが嬉しかった、自慢だった、と父が語っていたことは人伝てに聴いた。


夢叶わず必死にもがいた18.19の頃。

何も言わずに金を何とか工面してくれていた父。

やっと手にした、

東京学芸大学合格通知。

⭕️された受験番号、俺一番の宝物だ。


勉強遊び陸上に明け暮れた4年間。

研究に没頭した大学院。


全て、

父の理解と協力と44年間頑張った退職金のお陰。


卒業してすぐ教員になった時も喜んでくれた。

30半ばでチャレンジした学年主任、ひそかに自分が勤務する学校の学校便りをHPから見ていた。


辞める時、何も言わなかった。

どうしたやあー?

と電話をくれた時もあった。


東京で教員をしている末っ子。

新潟で教員をしている双子の兄貴。

俺ら双子は親父の生写し。

そして、自慢であったらしい。


教員を辞めた申し訳なさは、ある。

しかし、それは全力で生きることで取り返す。


今、自分ができること、

それを全力でやる、やり切る。

これも親父に教わり叩き込まれた。


今日、仕事が終わったら、デリカに乗って、

俺の末っ子と、

新潟に向かう。


腰が痛くて動けない親父に会いに。


今自分にできることを全力で。