こんにちは
国立のパステル作家&講師 マリンカです。
息子の滞在場所カナダからこんな綺麗な青空の写真が。
気持ちよさそうですね~。
カナダは とってもいいところなので
羨ましいです。
思えば 初めて2人を連れてホームステイに
行ったのはカナダでした。
息子小4娘小2、私一人で連れて海外だなんて・・・
随分と思いきったことをしたもんだ!
といまさら思います。
当時は上海2年目の夏
1年目の夏があまりにも暑すぎて(40度超えるし)
耐えられなかったので
日本に一時帰国して日本の小学校へ通わせようと
思ったのですが・・・
息子ガンとして首を縦に振らず・・・
そんなら英語圏へ行って英語漬けにする?
と聞いたら「そのほうがいい」と。
まだ子供たちの英語力はたいしたことはなく、
たどたどしい母の英語力だけで行きました。
カナダとっても美しくていいところなんですが・・・
ホームステイっていいことばかりじゃなかった。
<これから2年後のアメリカのホームステイは花丸だったけれど>
エージェントさんから紹介されたそのお宅は
フィリピン系移民のお宅だった。
他にも台湾人・メキシコ人のお子さんがステイしていた。
アメリカやカナダのお宅にはたいがい地下室があって
(気候が乾燥しているので 日本のようにカビたりしない)
私たちは地下の部屋に寝泊まり。
初日はWelcomeで 終わったのだけれど。
翌日 トイレットペーパーがなくなったので
「ください」と言ったら
ストックがなくなっているから
「買いに行って」と言われる!
はあああ????
なんで?
昨日ついたばっかりじゃん?!
それにトイレットペーパーは用意しておくべきだし
一緒に買いに行くならまだしも
「行って来い」とは・・・・・
仕方がないので 2人をつれて
見知らぬ土地をとぼとぼ15分ほど歩いて
ショッピングセンターへ行きました。
ショッピングセンターでも店員に
いじわるをされるという・・・。
もう途方に暮れるようなスタート。
そこで飲んだスタバの珈琲は
本当に心に沁みたものでした。
予想どおりに食事は酷く
朝はシリアルのみ
夕飯もフリーズドライのものを
もどすだけ。
そのお宅では数々のトラブルがあり
しまいには 「物をとっただろう」と疑われ
かんかんになって私は
エージェントに交渉して
ホームステイ先を変えることに。
変った先は 主人の友人(台湾人)が居候する
台湾人移民のお宅だった。
とても大きな一軒家で
お食事も中国人なので 栄養たっぷりの美味しいご飯。
これで一安心と思いきや。。。。
滞在が長くなってくると
「地」がでてくるんですよね。。。どんなにいい人でも。
子どもたちの語学学校へ毎朝送り迎え
をお願いしていたのですが(もちろんお支払はしている)
それが面倒くさくなったのでしょうか。
些細なことでお小言をいわれるようになり
私が異を唱えたある日
いきなり激昂した彼はこういいました
「日本軍がいけないんだ!日本が攻めてこなかったら
私の家はこんなことにならなかったのに!!」と。
彼の実家は国民党のエリートだったようです。
日本軍が中華民国に攻め込み
共産党が力をつけ
しまいには国民党は中国大陸を追われ
今の台湾へと脱出したのですから。
かれはそのことを恨みに思っていたのですね
心の底で。
それが弱い立場にいる日本人の私たちに対して
炸裂したのでしょう。
わたしは泣きながら謝りました。
戦争に対する認識・意見を述べて討論するだけの
英語力もなければ 子供2人を抱えて弱い立場。
それ以外にできなかったのです。
一日も早く上海へ帰りたい
(後にも先にも上海へ帰りたいとおもったのは
この時だけ!!!爆)
「私が想像しているほど
アジアの人たちは日本人を良く思っていないのだ」
それを実体験してしまいました。
子どもたちはこのことは知らずにいます。
当時は話してもわからなかったと思いますし。
もう大人になったので話してみようかな。
と思います。
