いろいろ余韻に浸りながら書いてるニヤリ

最近課題本型の読書会にハマっていて、今回はカミュの「異邦人」を読んだ。


なんか……衝撃!!!!!!


本の紹介を読んで、なるほど、殺人事件についてね〜ってところから始まって。

読んでいくと、なるほど共感性が欠如しているサイコパス的な感じね〜、その犯罪に至る経緯が書かれてるのかなぁなんて思って。

でもなんかサイコパスでもない?サイコパスと見せかけた中二病???


えっまた違う主義主張があるの??ムルソーの視点ではこう感じて、見ているのか…


なんてどんどんムルソーの見え方が変わってきてびっくり


読書会って自分の読んだ感想とか考えを話す場だから、この表現はこうなのかな?だとしたら私はこう考えるかな、なんて自分なりの結論を見出すように読んでいたけれども…


なんか最終的にはその考え方・まとめ方そのものを否定されたような気がして
根幹から自分の常識とか考えを揺らされる感じがあって、ムルソーの最後の激昂みたく、私も叫びたくなった笑い泣き笑い泣き笑い泣き


私はやっぱり、こうあるべきという指針とか、社会の規範とかを守っていた方が安心するし、自分のポジションというものを持っておきたい。
そうでない人を見るとなんで??って思うし、迷惑だなぁ…って思ったりもする。


そうやって、簡単に排除してしまいそうになったり、反対の排除される立場になったら戦ったりして自分の立場や正当性を主張する訳だけど。
そのどちらにも属さないパターンがあるのだなと感じたキョロキョロ


まぁでも殺される立場からしたらたまったもんじゃねーし悪でしかないと思うけどムキー


読書会で、ムルソーは実存主義という話が出て、よくわかんなかったからちょっと調べたけど…


人間の実存を哲学の中心におく思想的立場、或いは本質存在(essentia)に対する現実存在(existentia)の優位を説く思想的立場である。存在主義とも
←Wikipedia参照笑


そんな思想がムルソーにあったのか、私は疑問かなぁ。今・ここに焦点をあてているのはわかるけど、私にはなんかすごく動物的というか、快・不快を基準に衝動的に動いているようにしか…


この小説は反実存主義なのではという話が出たけど、もしそうなんだとしたらカミュの考える実存主義は他の提唱者達と微妙に定義が違うんじゃないかな?なんて思った。


なんにせよ、何も確かではなくて、何も結論づけることも出来ないこの小説は、細かい部分を話すだけでもどんどん推測が枝葉のように広がって沼にハマっていくような感覚になったびっくり



でもいろんなものを手に入れて、自分の形を作って、周りを整えて、安心した気でいた私にはいい刺激、というかオクスリになった。笑



家庭とか職場とかのみならず、SNSとかでも自分を考えを主張して思いこみで断罪するみたいなことが多い現代人こそ、一回これは必修で読んだほうがいいと思った爆笑



こういうのは小説でしか味わえない感覚だなと思う、紛れもない名作でした照れ照れ照れ