+ 4年半ぶりに親同居。 | around the secret

+ 4年半ぶりに親同居。

 双樹家実家建替(漢文みたい)。4ヶ月間、両親が居候しに来ます。


 ・・・・・・お互いが元気なうちは、これが最後の同居になるのかな・・・と思うと、しんみり。


 私の不在中の引っ越しで(勿論事前に話はちゃんとあったが)、昨日会社から帰ると、両親が家に居る状態で。大がかりな荷物とは裏腹に、まるで最初からずっと居たように、しっくり馴染んでいて。

 それはとても不思議な感覚で。何故なら4年半前、とても恩知らずな動作でその環境を自分から棄てて来たから。

 他人だったなら、絶対に許してくれないであろう態度を取ったのに。いや、私もそんな態度を取るほど頭に来てたのに、親子って不思議だ。西原理恵子いはく「母親と子供は、なんですぐ仲直り出来るのだろう」。

 

 家を出る半年前から、親とは殆ど口をきかない日々が続いた。

 家を出て4ヶ月後の母の誕生日に送ったプレゼントに、初めてちゃんと「有り難う」を言って貰え(正確には葉書だが)、大泣きした。


 子供を産んだ事も育てた事もないので、「母」の気持ちは分からない。だけど、今の「標準is the only way」な世の中、ちょっと違った子を育てるのは大変で、私の存在は母のトラウマになってしまったのではないだろうかと今でも思う。だから私と両親が上手くいかなかったとしても、それは私と神様のせい。多分両親のせいではない。


 話はちょっと逸れるが、黒柳徹子というのは「窓際のトットちゃん」で読む限り、今で言えばADHD(注意欠陥障害)か何かだったのではないかと思う。だから「**校のトットちゃん」と呼ばれて育った私も、多分今だったら**障害とついた子供だったのかも知れない。

 学力は割と高く、お受験や受験でも生き残って来れたものの、「人が出来ない事が出来る子。そして、人が出来る事が出来ない子」だった。分かりやすい例では、1日6コマ分の教科書と宿題を忘れずに持って来る事が、どうしても出来ない子。だけど、教科書の文章を丸覚えしているから、教科書がなくても困らない子。

 だけど当時の世の中では、例えば学力の偏差値が幾ら・・・という事ではなく、「あの子、何かおかしい。違う」というのが相当な罪悪であり負い目にだったのではないかと思う。母には今でいう「ママ友」は居らず、学校行事の度に多分同級生の母親から何か言われるのだろう、とても荒れて帰って来ていた。


 私も子供時代の想い出は、辛い想い出ばかりだ。好きな事をどう努力しても、他人には追いつけなかった屈辱感。人が出来る事が出来ない辛さ。おかげで随分臆病にもなった。社会や学校というのは多数決だから、多数派な能力値の人間のみが暮らしやすいように作られている。それはまるで、人間には規格品か規格外品の二種類しかないような悪平等な考え方で、「人間に不良品はないんだよ」という考え方は疎か、規格外品の人間は余程秀でて居ない限り(秀でていたとしても)少しの事で躓いてしまう許容量の狭さだ。


 私は悪い子になんかなるつもりなかったのに。お荷物になるつもりも、傷つけるつもりもなかったのに。・・・・・・まぁ、今上手く行ってるから良しとするけど、私は凡人だから、苦労も抵抗もない生き方がしたかったし、子供の頃なら尚更。まぁ、今上手く行ってるから良いか。

 ・・・・・・話が逸れすぎた。


 

 私も人生の1/3地点は越えている。両親も10年後には前の10年間よりずっと老いているだろう。

 だから心残りのないように。吸収出来る事は吸収して、学べる所は出来るだけ学んでおきたい。それを次の世代に伝えるのが、双樹家の一員として望まれている事なのだろう。


 もしかしたら卒業式のような、この先の4ヶ月間。