southlove-akb48さんのブログ

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【 バーチャルコンソール、そして時代は…】

2016年が始まった。2016年は、久しぶりにポケモンと自分として、濃い年である。

まず、2月には、3DSで、赤・緑・青・ピカチュウが遊べる「バーチャルコンソール(VC)」が発売された。僕は緑を選んだ。
久しぶりのゲームボーイのポケモンは、楽しかった。
やはりイワヤマトンネルをフラッシュ無しで通過と、ナツメのフーディンは恐ろしかった…。

そして2月には、もう一つ
ピカチュウがおじさま声で話して、難事件を解決していくという「名探偵ピカチュウ」も発売された。

新感覚のポケモンゲームだったし、何より名探偵コナンが好きな自分からしたら、名探偵とピカチュウのコラボというのは、実に熱かった。

そして、3DSで、新たなポケモンゲームの発売が決定した。

また楽しみが増えた、と思ったら、

ついに、

スマホでリアルタイムでポケモンを捕まえるという、アプリ。

【 ポケモンGO】が配信開始した。
ポケモンGOの社会現象は、本当に恐ろしかったと思っている。

僕は職場の先輩と仕事終わりや休みの日に、捕まえに出向いた。もちろん1人でも。

AKBでカントー地方に行っても、仲間達とポケモンゲットしに出かけたり、

まさに、素晴らしいアプリだった。


母親までポケモンGOをやってて、むしろ僕よりたくさん持ってたことが、とても衝撃だったが、けっこう嬉しかったりもした。


ポケモンGOブームがおさまることなく11月、

ついに新作「ポケットモンスターサン・ムーン」が発売された。

もちろん、アニメもサンムーン編に突入となった。が、
ここでポケモンの歴史を覆すことが起きた。

アニメXYの最終回、ヒロインのセレナが、サトシへの思いを最後の去り際のキスで別れるという、子供達よりヲタク達をもっていったヒロインが誕生した。

サトシの嫁と言われ、ヒロイン歴代No.1など、様々で盛り上がっていた。

サンムーンになると、アニメも作画が変わり、イケメンだったサトシがおかしくなった!なんてことも話題となった。

そんなこと、あまり気にならなかった僕だが。

サンムーンでは、高校の友達ではなく、Twitterで知り合った数人で、定期的にバトルをした。
そこには厨ポケもいないし、とても楽しい楽しいバトルしかなかった。

そこでは僕も勝つことも増えたし、なんせ、フルバトル6VS6を文句も言わずに楽しんでくれることが、こちらとしても嬉しかった。

アニポケの名シーンをTwitterで見つけては、まず自分が見てないて、拡散して、それを見てみんなが涙したり。

なかでもやはり「バイバイバタフリー」の自分、みんなへの破壊力は効果抜群涙腺ハイドロポンプだった。

ここまで、僕(凡)とポケモンの歴史を書かせていただきました。

部活や勉強、世間の流れにも呑まれて、ポケモンと触れてない時間が多い時もあった。

もっとすごいポケモンヲタクからすると、
「ほんと凡だな」

と言われてもおかしくはないだろう。

だがしかし、
見ていたちょうどの世代だった自分、
いつの間にかサトシの年齢を越していた自分、
ポケモンを見れていなかった、見ていなかった時間がある自分、

いずれも、僕がここまで生きてきた分、

ポケモンも進化を繰り返し、
サトシも夢を諦めずにここまで旅を続けている。

その時間は、そう、同じなのだ。

ポケモンと生きてきた世代といっても過言ではないだろう。

そんな年に生まれたことを、誇りに思っている。

時は2017年
本日はいよいよ、
「劇場版ポケットモンスター キミにきめた!」
の公開日である。

僕らが生きてきた
アニメポケモンを見てきた
サトシと一緒に成長してきた

その御褒美を、今日からもらえることとなる。

体全身で、その御褒美を受け止めようと思う。


今、この年になって、
「ポケットにファンタジー」
を聴くと思うことがある。

「早く大人になりたいの」

と言っている女の子と変わらない年だった僕ら。

「もう一度子供に戻ってみたい」
と言える年齢にいつの間にかなってしまっていた僕ら。

昔聴いていた自分と、今聴く自分、

考え方も、思うことも、全く違って、
ほんとに涙しか出てこない。

でも、あの頃も、今も、
ポケモンが大好きだということは、何も変わっていない。

それが何より自分では嬉しい。


子どもっぽい。
子供のアニメだよ。


確かに子供向けである。子供達にこそ見てほしいアニメである。それが本望だ。

だが、その子達が、僕らの年齢くらいになった時に、
ああ、ポケモン、大好きだったなぁ、
と思い出して、心にはちゃんと残っていてほしいと、僕は思っている次第である。


僕もいつか、結婚するのかしないのかは知らないけれど、

子供と一緒にポケモンを見れる日が来たら、
きっと幸せで、子供より号泣しているんだろうなぁと、僕は思う。


長々と、こんな凡のポケモンとの歴史を
読んでいただいた方、ありがとうございました。






【 番外編 僕の印象深く残っている仲間達】

・バシャーモ
ルビーサファイアでの流行ポケモン、初めて100にしたポケモン。

・ZUZU(ラグラージ)
長年のパートナー。漫画ポケスペのルビーのラグラージのニックネームを引用。

・ファイヤー
ライバルのリザードンと死闘を繰り広げた、いつの間にかリーフグリーンでのエースになっていたポケモン。

・ワニロー(オーダイル)
ハートゴールドの最初のポケモン。ニックネームにハマりだしたのはこの頃。

・テイル(ブースター)
同じくハートゴールドでの僕のパーティのレギュラー。

・キング(ヘラクロス)
↑に同じ。

・ドサイドン
↑に同じ。

・ライチュウ
↑に同じ。

・トゲロン(トゲキッス)
ハートゴールドの残った1枠になんだかんだでずっといたポケモン。

・ゾロアーク
映画からの出会いでブラックではエースとして活躍。

・ダイケンキ
ブラックの最初のポケモン、そしてレギュラーメンバー。

・ムーちゃん(ムシャーナ)
昔家にいた猫の名前を採用した、なかなか強いブラックのレギュラー。

・ギガイアス
↑に同じく、ブラックのレギュラー。

・レシラム
伝説で久々にずっとパーティにいて、レギュラーとして活躍し、100になったポケモン。


・ゲッコウガ
Xでの最初のポケモン、レギュラー。

・フシギバナ
↑同じく。初メガシンカのポケモン。

・フラージェス
↑同じく。初フェアリータイプのレギュラー。

・ガチゴラス
↑同じく。

・ファイアロー
↑同じく。

・ヌメルゴン
↑同じく。


・トモナリ(ラグラージ)
オメガルビーでの最初のポケモン。まるで分身のよう()当時の僕のあだ名から引用。

・らぁちゃん(サーナイト)
ラルトス+推しメンで構成されたポケモン。

・ナナリゴン(フライゴン)
↑と理由は同じく名前つけられたポケモン。

・まるどん(アーマルド)
オメガルビーでのレギュラーポケモン。

・オーディン(ガブリアス)
名前だけは強そうなポケモン。勝率は悪かった。

・ななッキュ(ミミッキュ)
サンムーンからの登場だが、今では1番のエースポケモン。勝率も一番高い。弟子ポケモンに負けたこともある。

・オカダイル(オーダイル)
バトルでななッキュの次に勝率あるポケモン。

(ここからは、説明文を省略させていただきます。)

・アケリーマン(アーケオス)
・ニャビえもん(ガオガエン)
・コソック(グソクムシャ)
・ガルル(ルガルガン)
・ガルルJr(ルガルガン)
・マージョさま(アマージョ)
・ジムシー(クワガノン)
・じゃらん(ジャラランガ)
・ケラケラ(ドデカバシ)
・スベリキング(オニゴーリ)
・スベラー(サンドパン)
・シュドルク(バンバドロ)
・こいずみ(エルフーン)
・どいひ〜(ドヒドイデ)
・ポリゴモン(ポリゴン2)
・ゴウラム(カイロス)



などなど、まだまだたくさんいるけれど、
とりあえずこれ以上は多くなりそうなので、やめておきます。



いつかまた、気分でこういうブログを書く時は、またの閲覧を、よろしくお願いします。



終わり。
【XY・そして旅立ち】

僕の学校の3年生の授業として、数人グループずつに分かれて1年間実習を行っていくというものがあった。

その中に、音声を録音し、それを人が通ると反応してスピーカー通して音声が出る

という仕組みを使った物作り班があった。



一つ上の先輩方は、なんと、ピカチュウを作っていたのだ。

僕の年もピカチュウを作ることになり、僕はリーダーになることができた。

その班も、僕の仲のいい友達&ポケモンやってた人ばかり集まって、先輩のピカチュウよりクオリティを高く作ろうと、とても楽しい授業が始まった、それも2013年のことである。



そんなこんなで、僕は就職試験をむかえ、合格することができた。



それ以降は、授業と点数を取ればいいだけだったから、遊び放題だった。



時は過ぎ、合格発表の2週間後くらいに



新作「ポケットモンスターX・Y」が発売された。



アニメも同時期に始まって、テレ東では見られないが、再放送で毎週録画の権利を手に入れた(家族共有の録画機のため)





X・Yは、立体感のクオリティが更に上がり、



簡単にいえば、3DSでポケモンコロシアムのような物ができる。



という感じだった。



感動は大きかった。



X・Yでもポケモンバトルの流行りはきた。



僕はやはり負けばかり。

メガ進化も増えたため、余計に戦法も難しくなったのだ。



とはいえ、BWの頃よりは勝てるようにはなった。



そうしていたら、あっという間に2013年も終わり、2014年がやってきた。



そう、僕は4月から、家を出て、一人暮らしの社会人となるのだ。

学生ではない、そして誰もいない。



マサラタウンにさよならバイバイ



まさにこのフレーズが頭をぐるぐる回る



ポケモンの歌は旅立ちの時に気分が上がったり、泣けてきたりする歌詞が多いのだ。

そこがまたいいところ。



4月になり、僕は家族、友達、地元にさよならバイバイして、1人、社会人の道へと旅立った。(俺はこいつと旅に出るのこいつがいなかったことは触れないでおこう。)



【一人暮らしと遠征民、そして 】

2014年4月、一人暮らしと社会人生活が始まった。



ここで、驚いたことがある。

そう、テレ東が映ることだ。(カントー地方ではない)

僕の地元では放送してなかった深夜アニメも放送されていて、



テレビ面においても潤った。なんせテレビの奪い合いもしなくていいし、ゆっくり静かに見ることもできる。



仕事も順調、ヲタク生活も充実していた。

この年のポケモン事情といえば、XYの映画1作目公開と、



なんと、僕の初ポケモンゲームである「ルビー・サファイア」のリメイクの発売が決定した。



僕は最高としか言いようがなかった。

高3の時よりもTwitterをたくさんするようになっていた僕は、

主にAKBの事しか呟かないし、その方面の友達しかいなかったが、

そのポケモンのことは勢いでたくさん呟いていた。



すると、

「ポケモン懐かしいなぁ」

「アニメ見てたなぁ」

「アニメのあのシーン好きなんだよね〜」

「あのおもちゃも持ってたな〜」



という返信や呟きが。



そう、ここにきて、ようやく

ポケモンのことを熱く話しても、意気投合して、むしろ盛り上がるくらいの人達に出会えた。



その仲間達とは、今でも仲良くさせてもらっている。

高校時代の友達が、アニメのことを言ってても、イマイチピンとはこなかったし、むしろ、なぜかムキになって対抗してしまっていたこともあった。



不思議なことに、その感覚はなく、逆にもっともっと話を聞いてほしい!!話したい!!



と思えたのだ。





職場でもなぜかポケモン好きということ、ポケモンの話題になると食いつき具合がすごいだの、言われていた。



そんなこんなでリメイク「オメガルビー・アルファサファイア」の発売日となった。



僕は、職場の人に押されて、

昼休みに自転車でソフトを買いに行ったのである。(本機は持ってきてすらなかったのに)



初めてポケモンのゲームをした作品が進化して蘇って、プレイしているだけで、なぜか泣けてきた次第である。とてもおもしろかった。



オメガルビーの流行りは落ち着き、

2015年を迎えた。



2015年は、正直、アニメは毎週見ていたが、

熱心に毎日ゲームをするわけでもないという感じだった。



だが、9月には、「ポケモン超不思議のダンジョン」という久しぶりにダンジョンシリーズの発売があった。(途中にマグナゲートと∞の迷宮というダンジョンゲームも挟んでいたが)

ダンジョンファンの僕としては、購入して楽しんだ。が、赤の救助隊・時の探検隊程ハマることはできなかった。



あっという間に2015年も終わった。

そして、2016年が、始まる。


【多忙と地デジと高校生】

2011年4月、ついに、高校生活が始まった。

ほぼ男子校、そして月~日まで部活だった僕にリア充という夢の高校生活は4月の時点で潰れていた。いや、むしろAKBにドハマりしていた自分にはそんな事少しも頭によぎらなかった。

家に帰るのは平日、毎日22時、休日は一日中部活。

そう、明らかに時間が足りなかった。

ポケモンの放送時間に家にいるわけがなかった。

それでも見ようと思えば見られたわけだから、ただの言い訳である。

他のアニメすらろくに見ていなかったことを覚えている。

ポケモンの映画も結局見に行っていない。

そんな僕にもっと大きな出来事が…

そう、地デジの始まり、アナログ放送の終了である。

それまでは普通に映っていたテレビ東京が、僕の家のテレビから消え去った。

これがアニメやポケモンを見ていない理由の一つでもある。大きかった。

2011年はそんなこんなで終わり、2012年がやってきた。

 

【BW2!!廃人への道!!】

高校2年生になった。

この年には、ブラックホワイトの新作

ブラック2、ホワイト2が発売されることになる。

その情報は知っていたため、僕は一人で楽しみにしていた。

ところが、発売間際になって、学校でその話題が出始めて、驚いた。

ポケモンが好きという友達もいて、だが、その友達は、バトルが好きだった。

その話題の中には「努力値」「V」「型」「乱数」というワードが飛び交った。

ほんとにポケモンの話題…?

僕は疑った。だが、これがポケモン廃人への始まりだった。

僕も友達に教わり、家で暇を見つけ、ポケモンを育てた。

バトルが学校のクラスの一部で流行った。

ポケモンがそんな好きじゃない人もバトルは楽しかったらしく、

その流行りに参加していた。

僕はというと、そう、とても弱く、全然勝てなかった。

周りは強いポケモン、有名な型のポケモン。

そんなに好きでもないのに、僕は君らの数百倍ポケモン好きなのに、

バトルで負けちゃうし、それで色々言われてもなぁ…。

僕はかなり複雑だった。

そんなこんなで、2013年になった。

中学生、高校生ではポケモンに触れていなかった時間が多かったため、

話の中の時間の流れも急に早くなってしまったが、許していただきたい。

2013年は、きつかった部活もついに引退をむかえ、僕には趣味に費やす時間が増えた。

ポケモンバトルの流行りはぼちぼち。僕はゆっくりだったが、ポケモンを育てていた。

部活を引退と同時に、僕には就活という進路決めが待っていた。

そんな中、秋にはいよいよ、3DSでのポケモンシリーズの発売が決定していた。

発売日より前に就活の試験も合否の発表がある。それまでに終わらせなければ…。

 

僕の戦いがふたたび始まる。