次の例題は、加藤先生の親しい方で、神道系の教会長をしており、大変人柄も良く、温厚な方でいつもにこにこと笑顔を絶やさない方でしたが、八十五歳で他界されました。この方は喉の癌で、末期には喉に穴を開け、外から管を入れられ、ずっと病床におられたそうです。


葬儀が終わって五日ほど経った日のことです。加藤先生が私に、「ここ数日、あまりにも喉が苦しく痰が出て困る」と申されました。なぜ急にこのように喉が調子悪くなったのか気になりますので、真夜中でしたが大神、親神様にお伺い致しますと、次のように教えてくださいました。

 

加藤先生「神様、このところ数日、私が痰が多くでて気になるのですが、私の体は何か悪い病気にでもなったのでございましょうか。どうか教えてくださいませ」


大神「そなたの体に悪いところはないのじゃ。その様に汚きものの出るは、それなりの原因と申すか、関わりがあるのじゃ。待て。その関わりのある者と代わるぞ」


亡者「私だよ。私が頼っているんだよ。加藤さん、私が頼っているんですよ」

 

加藤先生「だれですか。私の名前を言うのは」


亡者「私はこの間、体が駄目になったMだよ。T夫だよ。私は長生きはしたけれど、体があんなになって口もきけなくなって、情け無いよ。今もあのときと同じで言いたい事も言えないで、情け無いですよ。悪いけど頼っちゃったんですよ。私の息子のA男は、私の苦しみは分かってくれないんですよ。

 

毎日病院にくることは来たけれど、どうしても私を家に帰してくれないんですよ。「家に帰ったって駄目だよ。おじいちゃんは病院の先生のところにいなくちゃどうしようもないよ」と言って、とうとう私を生きているうちに、家に連れ戻してくれなかったんですよ。私は年老いて、こんな病気になるなんて情け無いですよ」

 

加藤先生「Mさん。今も体が苦しいのですか」

 

亡者「苦しいですよ。あの時のままですからね。私の顔を見て、皆穏やかないい顔をしていると言っているけれど、私はちっとも穏やかではないですよ。苦しいですよ。長い間、寝たままで起きることはできないので、体も痛くてきついですよ」


加藤先生「今、Mさんは明るいところにいるのですか」


亡者「明るいところではありませんよ。何も見えない真っ暗いところです。真っ暗闇のところに私はいるんですよ」


加藤先生「お気の毒ですね。私が後で神様にお願いして、明るいところに助け出していただきますからね。今少し、我慢していてくださいね」


亡者「ありがとうよ。私を明るいところへ出してくださいよ」


加藤先生「Mさん、あなたの信仰している神様に助けていただけないのですか」


亡者「私が自分のことを願うことはできませんよ。私には、今は何の資格もありませんのでね。今はただの人ですからね。すみませんが頼みますよ」


加藤先生「ではMさん。今は夜中で眠いので、また明朝私より大神親神様にお願いさせていただいて、明るいところに出していただきましょうね。明るいところに出していただくと、今の苦しみの体から苦しみが取れて、楽になりますからね。

 

今は、三浦さんは生きているときとまったく変わらない気持ちでいると思いますが、でも今は本当は体から離れているはずですよ。ただ、そのことが今のままでは分からないで、体が病気のときのままでいる思いで苦しいのですからね。後で神様に助けていただくと分かりますよ。体は楽になりますよ。ですからいま少しの間、お待ちくださいね」


そして翌朝早々に、加藤先生にMさんのお助けをしていただきました。

 

加藤先生「私の体に友達のMさんが頼っていると伺いましたので、どうか今日はMさんの苦しみをお助けいただきますようにお願い申し上げます。また、それと一緒にどうか明るいところにお助けくださいますよう、お願い申し上げます」


大神「良いのじゃ。 これより助けることにいたすぞ」


(ここで助ける)

亡者「ああ、ありがとうよ。ありがとう。良かった。本当に良かった。あのように喉に穴をあけられては、何を言いたくても思うように話せないので、私は本当に焦れったかったが、良かった良かった。急に体が楽になって良かった。加藤さんに頼っていて、どうもすみませんでした。私は、今は教会の中に戻ってきて祭られているけど、だけど祭られて位牌のあるのは分かるけど、魂は入っていないんですね。今まで御霊様と思って大勢の人を私の手で祭り込んだりしたけれど、こうしていま分かってみると、この家の中にいるのは家の者だけで、ほかの人はだれもいないんですよ。

Nさん(教会の信者で、すでに他界された方)も見えないし、Aさん(同)も見えないし、よその人は一人もこの教会にはいないんだよ。私は、教えの
上ではよーく分かっていたつもりでしたがね。やっぱり自分の体が駄目になって、初めて分かったことですよ。家の教会の御霊家の中に幾人も信者の人をお祭りしたのに、本当にだれもよその人はいないのはどうしたのかね。教会の者だけのいる場だからかね」


加藤先生「Mさん。神様にお助けいただいて、体が楽になりましたね」

 

亡者「ああ、本当に楽になったよ。今は苦しいところはどこもないよ。私は体は駄目になってしまったけれど、本当に魂は生き通しと聞かされていた通りに、私の心は生きているときと同じで、少しも変わらないですよ。親神様の教えに、体は帰してもまた新しい着物を着替えるように生まれ替わってくる、と聞かされた通りに、今では体はなくても心だけはちゃんと分かりますよ。なんでも見えたり分かったりしますよ。心は生きていますよ。」

 

加藤先生「Mさん。では体は楽になったので、これから教会の中で皆様と共々に、後々続く人たちのために働くと良いですね」


亡者「分かった。分かった。また頑張るよ。今日はありがとうよ」

 

(解説)人間は、肉体が死んでもそれで終わりでなく、魂は生き続けます。しかし魂についての理解は、宗教によって異なり、「肉体を離れて十万億土の西方極楽にいって幸せになるのだ」という教えがあるかと思えば、また一方では、「天は月様であり地は日様である。

 

天地の外に生き場はない。息が切れたらその人の魂は月日親神様が大事に抱きかかえて、また旬がきたら新しい身体を貸し与えて、この世に生まれさせてくださるのである。地獄へいくのでもなければ、極楽にいくのでもない」などと言っているところもあります。それなりに当たっている教えもありますが、大半は間違っています。


『まず私たちの魂は、どの様に使って生きても良いと、神様から自由に任されております。けれども、どの様に生きたかの結果は当然、あの世と来世で精算しなければならないのです。生前、さんざん悪さをした人や心の使い方の間違った人が、無条件で良い状況の下で神様に抱かれるということはありません。当然の結果として、亡くなってあの世にいったとき、明るいところに住むか、暗いか、地獄かは、自ずと生前の生き方で決まってくるのです。生まれ替わってくるには、必ず霊界で反省をして、明るいところに上がった後でないと、生まれ替わりはできません。

 

このMさんも、仮に加藤先生にお助けいただかなくても、生まれ替わりのことや心の使い方を知っていましたので、他の人と比べれば比較的早く、自分の力で明るいところまで上がられたことと思いますが、もう少し生前に加藤先生の話を謙虚に受け止めてくださっていたら……と残念に思います。

 

教会で教えてこられたことのみが絶対正しいと信じていたようです。よく神道系の方は、人が亡くなりますと、神主さんや宗教組織の幹部の方に、白木の位牌への魂入れをお願いしますが、実際には魂はほとんど入っておりません。私たちのほとんどの人は、亡くなってすぐに神として祭られるほど、生きているうちに心を磨いていた者はいないからです。

 

まず第一に、輪廻転生や、生きているときの心の持ち方在り方が、あの世にいってからの住む世界を決めるということを知らないし、今世の生き方も独りよがりであって、大神親神様の御心に沿った生き方とは遙かにかけ離れた人が大半であるからなのです。また、霊界には、霊界における守るべき規則がきちんとあるのです。お坊さんや神主さんが自分勝手な解釈で祭るべきではないと思います。

 

その後、私のほうから亡くなられたMさんの奥さんに次のようなお話をいたしました。「奥さん、確かに教会の指導としては仏壇や位牌を置くことは許していないかもしれません。その信仰は信仰として良いのですが、亡くなってからの供養の仕方というのが実際にはきちんとあるのです。

 

これは今まで、加藤先生と私で何百例となくいろいろの方の先祖を助け導いてきた結果、はっきりとした結論を持っているからです。嘘や出鱈目ではありません。先祖をきちんと供養することにより、運勢が変わった家が、実際何軒も出ているのです。教会の教えでは、陽気暮らしを教えているのでしょう。にもかかわらず、生きている人間の見栄や組織の仕来たりで、本当の先祖の救いができないのは、おかしいのではないでしょうか。

 

親神様は、黒塗りの位牌を作り仏壇に祭ってはいけないなどと、少しも言っておられないはずです。先祖は正しく祭ってほしいのです。あの世のことが良く分かってきますと、神式では駄目なことが分かりますよ。奥さんは現在教会長ではありませんし、息子さんが会長をしているのですから、立場上一主婦として夫と先祖の位牌を作ったらいかがですか」


奥さんは最初、組織の仕来たりにそむくので位牌を作ることはできないと申しましたが、このように説得いたしますと快く承諾してくださり、早速先祖とMさんの助けを加藤先生にお願い致しました。

 

加藤先生「神様、先日他界されましたMさんの助けと御位牌へのお導きのほど、お願い申し上げます」


大神「良いぞ。これよりこの者とて、助け導くことにいたすぞ」


(ここで亡者を呼び出す)

 

亡者「ありがとうよ。ありがとうよ。どうもありがとうよ。加藤さん、今日はご苦労さまだね。私は今は、もうよーくなんでも話せるようになっているよ。この間助けてもらってから、加藤さんのお陰で体が楽になっているからね。病院にいたときは、苦しくて何も言えないでとてもつらかったけど、今は体から離れているので病気のときの苦しみは少しもないですよ。

 

有り難いですよ。私は幸せですよ。体と心と離れるのは、教えの上では分かっていたつもりだったんだが、今になればそれが良く分かるよ。病院でなんにも分からなくなって、真っ暗闇の中にどれだけいたか分からないうちに、急に苦しみは取れて、周りが明るくなって、正直言って助かったですよ。私の病気は、あれはどういう病気だったのかね。声が出なくなるのは困るけど、喉が詰まるのはもっともっと苦しくてつらかったですよ。でもありがとうよ。どうもすみませんね」


加藤先生「Mさん、良かったですね。体が楽になって、私も正直言ってMさんのように死んだことはないので、死んだらどの様になるのか分かりませんでした。でも今まで、多くの人達のことで頼まれまして、亡くなった人達が全部と言っていいほど、皆真っ暗くて何も見えないところで苦しいと言っているのです。

 

その苦しいというのがどの方も、生きているとき病気とか事故とかで体が駄目になって、亡くなったときのままの姿で苦しんでいるようです。そしてその様に真っ暗くて何も見えない暗闇で苦しいと言います。その暗闇のところから神様に助けていただくと、ほんの一瞬の出来事のように明るくなって、体の苦しみはとれて楽になったと言うのです。Mさんも今は明るいところにおられるので、体は楽でございましょう。今は体から離れて、心だけの世界ですからね。苦しいことはなくなっているはずですよ」


亡者「そうだよ。加藤さんの言う通りだよ。あの苦しみは今はまったくなくて、苦しいことなんかまるで嘘みたいだね。良かった良かった。どうもありがとうね。これで私も、体の苦しいことは忘れられるね」


加藤先生「そうですよ。これからは、そちらの世界から二代目会長として、多くの方達を指導していくと良いですね」


亡者「分かったよ、加藤さん。これからも教会のこと頼むよ。私はもう駄目だからね。何もできないからね」


加藤先生「分かりました。及ばずながらも、できることは協力致しますからね」


大神「もう良いであろう。これより位牌に導くことに致すぞ」


(ここで位牌に導かれました)

 

亡者「ああ、良かった。ああ、ありがとうよ。私は仏壇に入るとは思わなかった。神殿の御霊家に入るのが普通と思っていたのだけど、あの場は入っても駄目だと言う事がよく分かりますよ。あの御霊家には確かに家の者はいるけれど、いるんだけど落ち着けず、私のいれたものには入れないですよ。

 

今この仏壇に入って、初めて良く分かりましたよ。あの御霊家には、AさんやNさんなど幾人もの人を入れたつもりが、今私が見たところでは、だれもよその人はいませんよ。私の思って信じていたことの違いが、自分がこうなってみて初めて分かりましたよ。どうもありがとうよ、加藤さん」

 

大神「もう良いであろう。これにて終わるぞ」

 

引き続いて、M家先祖代々の位牌への魂入れの件です。

 

加藤先生「神様、今度はM家の仏壇に御位牌が入られましたことによりまして、M家の先祖代々の皆様方の助けと御位牌へのお導きを、よろしくお願い申し上げます」

 

大神「待て。待つのじゃ。(しばらくして)良いぞ。これよりこの家の古き先祖の者達皆、位牌に導くことにいたすぞ」


(ここで先祖を呼ぶ)

 

先祖「ありがとうございます。ありがとうございます。私達はM家の古い先祖の者です。私達だけではありません。子孫に続く大勢の者達もおります。皆それぞれの時代時代の生き方をしてきた者達です。有り難いことです。これで私達大勢の者は助かりました。救われました。神様のお陰でございます。私たちは長い長い時を、何も見えない真っ暗い所で、病のときのままで苦しんできました。この家の者だけですか。こんな暗いところで何一つ見えないところで苦しむのは…」


大神「違うのじゃ。そなた達だけではないのじゃ。人は死を迎えるに当たり、その折々の心の持ち方のまま、死と共に真っすぐと申すか、間違いなく暗きところに参るのじゃ。その暗き場にて、自身の生きたときの心の持ち方を自身より悟ることのできぬうちなるは、数十年数百年とその暗き場にて過ごさねばならぬのじや。だが今なるは、この者の体に宿る神の力にてその様に明るき良き場に助けられ、出て参ることが叶うのじゃ。また許されるのじゃ。これよりは、そなた達自身の体は朽ち果てのうなりておることゆえに、心だけの場に参り体の苦しみとてのうなりて参るはずじゃ。

 

暗き場におりし折にては、たとえ体は朽ち果ててのうなりておりたとて、痛みておりた折の思いが心にあるゆえに、助け導かれし折より自身の体なき事とて分かったであろう。また明るい場に出ると共に、長きに渡り苦しみた事とて取り除かれ、のうなりておるのじゃ。これより後なるは、心だけの場に救われ、子孫の供養を受け、日々通ることが叶うのじゃ。これより先祖代々の位牌に導くことに致さねばのう」


(ここで導く)

 

先祖「ありがとうございます。ありがとうございます。どうもありがとうございます。私達大勢助けていただいて、ありがとうございました。どうかどうか、この先々とて変わることなく、私達先祖の供養を子孫の者に頼みます。子孫の者に、私達先祖と同じ思いをさせたくありません。どうか頼みます」


大神「良いのじゃ。子孫の者達とて、分かるであろう」


この様に、Mさんのお宅はこれで先祖の件に関しては良くなったのです。


(補足) 別の相談者のことで実際あったことですが、このMさんと同じ信仰を持っている方で、不幸に泣いておる方がおりました。その方に、位牌を作るよう指導させていただいた(今も申した通り、この信仰では位牌を作ることは許されませんが、私どもの説得により位牌を作った)ところ、病気も運勢も良くなり、大変喜んでおりました。しかしそのうち、その方の属する教会長が家に巡ってきたとき、位牌を見付けるや否や大変怒り、またほかの信者からは自分達も上の偉い方から叱られたり攻撃されるのは困ると言われ、大変困ってしまいました。

 

分からない人にはいくら説明しても仕方がないと思い、その方の先祖に限り神様預かりと致し、その位牌は処分していただきました。この様に、無理解で自分のところのみが正しいと思っている教会の指導者は、本当に困ったものです。供養する子孫がいなかったり、どうしてもやむをえない場合は位牌を作らず、先祖の皆様をお助けしたあと、神様預かりにしていただく方法もあります。


よく永代供養をしてもらうからと、お寺さんに何十万も払って、安心した気持ちでいる人がおります。しかし何回も申し上げている通り、坊さんのお経や牧師さんの讃美歌や、神主の祝詞などで成仏できるものではありません。このようなものは、何の力もないのです。ただ形式だけです。やってもやらなくても関係ありません。

 

いろいろの本などで、亡くなるとベッドの上で見ていたとか、三途の川を渡るとか、天使が迎えにくるとか言われていますが、ほとんどはこの様なことはありません(例外はあるかもしれませんが)。何百と行った実例で申し上げますと、ほとんどの人は気が付くと、暗いところにいます。葬式をしたことも知りません。相談者の中で、身内に亡くなった方を四十九日後に助けの行いをしてみますと、ほとんどが暗いところにおります。戒名も祝詞もまったく関係ないということです。

 

さて、私達がやらねばならぬことは、基本的には子孫が位牌を作り、なるべく早く先祖代々の助けを行っておくこと。その先祖を位牌に導いて、毎日一回その位牌に御飯やお茶、おかずなどを添え、感謝と喜びの心で話しかけてあげることです。肉体を持って生きているうちに、充分先祖を供養し先祖の人達に悟ってもらい、また自分は心の勉強をして、亡くなるときには執着心を持たない心の準備が大切になってくるのです。