今朝見てビックリ‼️
続 始めちゃいました の前の文章に編集してしまっていて前のが無くなっているゲッソリ
やっちまったー
下手こいたー

こりゃあまた書くしかないですね。

まあまあ拙い文章ですので
何かと読みにくさあるかと思います!

そして、何が書きたいか伝わりにくさ
大いにありそうですが
それでも自分の為にも忘れないうちにこの10年くらいのことまとめてみたくて。

前回自己紹介だったのに、消えてなくなってまして。
えーとっ、
タイトルにもあるように結婚して10年になりますが、その間に子供を産みながら自分の両親を看取り、気づけば4人の母になっていた私。
現在は長男小3、次男小1、長女年中、次女1歳の4人の子を育てながらフルタイムで特養でリハビリしています。

両親の看取りの話もおいおいゆっくりしたいと思います。
順番的には
結婚
新居
今の職場に勤め始め
長男誕生
父の多発性骨髄腫発症、他界
次男誕生
長女誕生
母の食道癌、看取り
次女誕生

その間ずっと職場は変わらず、4度の産休育休、一度介護休暇もいただき、お世話になっております照れとても感謝してます!職員さんたちにも、ご利用者にも。
特におじいちゃん👴おばあちゃん👵たちは
私の事も、子供の事も、両親の事も
とても心配してくれて、話を聞いてもらいました。

妊娠、出産は私の場合はつわりほぼなし、産むのも軽い方でしたが、子育ては大変でしたえーん
とてもとても周りの助けなしではできなかったと思います。
なんでこんなに怒ってばかり、
ツノが生えそう、生えてそう、、
それもそう、こんなに自分の思うようにならないことが今までの人生で無かったからかも
自分のペースでできない
やらなきゃいけないことが終わらない、進まない
そんなことばかりでした

母を看取ってすぐ発覚した四人目妊娠🤰
長男が小学校1年のときでした。
四月からの集団登校も行けたり行けなかったり、毎朝ケンカというか1人母は怒鳴っていました。
旦那は先に仕事へ行ってしまうので。
私の中に「学校は集団で歩いていくもんだ」
という概念があり、随分葛藤してました。
そして私が産休に入った11月からは、登校すら拒否があり、大きなお腹の私が車で送っていくも
降りない時は無理やり抱っこ、保健室へ。
結局それでもダメな時もあり、
保健室の先生や担任の先生などにもお世話に
なりながら、その頃には旦那も協力してくれたり
カウンセラーの先生と話をしたり
亡くなった母の姉(おばちゃん)にもお世話になり、
長男自身もなんで行きたくないのか聞いても
はっきりせず。うちにいても何をしたいでもなく。急に今までのゆっくり一緒にいれたことがなかった時間を取り戻すかのように、べったり。
始めは学校🏫を休むなんて考えられなかったですが、そんな時間も必要だったし、あの時しか
無かったんだと思います。
思えば、長男は生まれてきてからずーっと
母はいつも働いて、親の病気と他界、下の子の世話に追われ、ゆっくりと関わってこれなかった
それは言い訳かもしれません。
関わってこなかった。
そしてまた1人下の子が増える、甘えられない、
兄としてのプレッシャーや負担がどれ程だったか

私には何も言いませんでしたが、
おばちゃんには色々話したそうで。
「俺は勉強に忙しいし、もう弟も妹の面倒もみたから、次は弟が見ればいい。」
とか。言うことは一丁前だなー 笑

私が学校行かせるのを諦めたら、楽になりました。
それでも最初は怒ったりもしました。
勉強もしないで、そばでゲームばっかりだったりガーン
で、一緒に公園へ散歩に行ったりしたら、赤ちゃんが生まれたらなかなか外へ行ってあげられないしと思ったら、その貴重な時間に感謝できるようになりまして。
そして、とうとう出産を迎え、長男はおばちゃんと陣痛室で待っていてくれ、一番に赤ちゃんと、ご対面。名カメラマンぶりを発揮してました笑い泣き

そしてそれからは学校へ行き始めました。
カウンセラーの先生の言った通り。
生まれればお兄ちゃんとしての自覚が出るから
行けますよ。その通りでしたっ
それからは赤ちゃんは長男大好きで😍

微笑ましいかぎりでした爆笑

すでにその四ヶ月後には職場復帰することにしてたので、私は産んでから二ヶ月を待たずして
家にいるのは勿体無いっ!
今のうちにやりたい事をやろうって思えて

それからのことは
続 始めちゃいました をご覧くださいウインク