沿志奏逢 ~ソウシソウアイ~
よく晴れた新春の休日、東京・日本橋で舟に乗った。日本橋川を下り、隅田川まで往復30分間のクルーズである。路上の喧騒が遠のき、過ぎゆくビルが普段と違った顔に見える。川面を渡る冷風に頬を張られながら、この街が水運都市だったことを思い出した。


今ひとつ風情が出ないのは、首都高速の高架が川を覆いつくしているためだ。舟は水中に突き刺さる何本もの橋脚の間近を進む。頭上の圧迫感が消えない。


東京五輪に向けて突貫工事で造られた首都高は、用地取得の要らない川の上を通し、水辺の風景を破壊した。戦後復興から高度成長へひた走る時代の槌音が<空のない川>を生んだ。


♪東京は後戻りしない/老いてく者を置き去りにして/めいっぱい手いっぱいの/目新しいモノを抱え込んでく・・・。ミスチルが歌う「東京」(作詞作曲・桜井和寿)は、破壊と創造を絶えず繰り返す巨大都市に立ち向かう若者の心情をすくいとった。


<50歳>を過ぎた首都高の大改修で地中化計画が持ち上がる。巨額の事業費を思えばため息ばかりだが、何十年かかってもいい、水流と共生できる首都改造の夢をみたい。


2013.1.15


↑ミスチルから「お詫びメッセージカード」が届いた日の読売新聞「編集手帳」に掲載された論説です。


突貫工事を進める為に、用地取得の不要な川の上を利用した。


こんなん、でんでん知りませんでした。勉強になりました。

いつも「大人の事情」で様々なものが生み出されます。

そこに生きる人々の息吹や、将来世代に想いを巡らせていない証だって言ったら言い過ぎやろか。


モノ作りも、産業も、地域振興も、情報も、街づくりも・・・「人」の心を置き去りにして「スピード」や「便利」を追求してきた結果が今の日本社会です。


あの焼け野原から立ちあがり、素晴らしい復興を遂げ、日本を経済大国へと成長させた日本人の勤勉さとその弛まぬ努力には、ただただ頭が下がる思いです。


ですが、この今の日本社会の有り様が、その先人達が夢見た「豊かな国」なんでしょうか。


自ら命を絶つ者や高齢者の孤独死が後を絶たず、親が子を殺し子が親を殺し、かつて「目に入れても痛くない」とまで言われた孫を殺す。

そんなニュースが珍しくなくなり、格差が広がり、弱者は社会の隅に追い詰められ、人の弱みにつけ込む詐欺事件が頻発するような、こんな社会を望んでいたとは思えませんし、僕ら日本人は、どこかで何かを置き忘れてきたのかもしれません。


原爆投下や敗戦を経験し、数々の大災害に直面してきた日本人、その困難に立ち向かう原動力は、とどのつまりが「人間力」です。


当たり前の事ですが、豊かな国を創る為には「感性豊かな人間」を育てなければいけませんし、人に優しい街を創る為には「心優しい人間」を育む土壌がなければいけません。そして災害に強い地域づくりをする為には「危機意識の強い人間」を目指す必要があります。


戦争の愚かさと自然の脅威を知った日本人は、今こそ英知を結集して、その反省と教訓の上に立ち、少し逸れてきた、その道を、尊い犠牲者の方々に恥じないよう、これから又ゆっくり軌道修正していく事が今を生きる世代の果たすべき役割のような気がしています。


アホウなりに、そんな事を改めて考えさせられる記事でしたし、取り分け我が大分市は少しずつ「優しい街」へ歩み出しています。


先日決まった昭和通り交差点の歩道橋撤去なんて、これは正に時代の意に沿った決定だと思ってます。

「やっとか」と思う一方で「歩道橋は、車社会を追求してきた20世紀の遺物である」と言い続けてきた父の活動を思うと感慨深いものもあります。


将来、「障害者を議員として受け入れ、そして人に優しい街に向けての英断を下した当時の県民・市民はサスガだ」と言われる日が来る事を信じてます。


その「優しい街」への歩みに対して、僕に出来る事なんて何にもありませんが、まずはすぐにキャンキャン言う癖をいい加減直していきながら優しくなれたらなって思います。


相変わらず、思うがままに書きなぐる状態のブログ記事でして、ワチャワチャした挙句に、結局着地点は小さな小さな自分自身の事ですが、これが案外大事な事なんじゃないかと思ったり思わなかったりです、はい。


じゃあね