原発の再稼働
地元への説明ウンヌンカンヌン言うてますが
地権者、地元への説明はあたりきしゃんしゃん
だけれど、国民への説明責任もあるっしょ?
総論賛成各論反対
必要ありきで各論を抑え込むんやなしに
必要かどうかの総論をしっかり議論して欲しい
「原発については、議論を尽くし国民の皆さんの理解を得られたと判断するまでは再稼働しませんが、それまでの電力不足については国民の皆さん自身で努力してください。」
こう言われたとして
「いや、電力が足りんの好かんけん早く動かせ!」
って言う人は、そんなにいないと思うけどな~
テレビのコメンテーターのように感情論だけで原発反対を語るのも
原発稼働やむなしって言っときゃ、責任ある発言みたいな風潮も
賛成か反対かをイデオロギー論争にするのも
何かチガウな~って思いますが
自分で何とかしきらんもんを自分で作る・・・
愚かって、こういう事なんちゃいますか?
あんだけ始末におえんもんを発明してしもて
特効薬みたいなん作ってから動かしてこそ成功と言えるんやないやろか
下手したら
半永久的に立ち入れない場所が出来てしまいます。
こんなんが先人が夢見た日本の姿だとは思えませんし
でんでん豊かやないやん
やっぱ、エネルギー問題を根底から考え直す必要あるんやないん。
さてさて桜なんです。
つま~っでん、さみいな~
こりゃ今年は入学式の頃まで桜が持つかもな~
って言いよったら
ぶわあ~って2、3日暑いぐらいになるし
そうかと思や
日が落ちたら、やっぱり寒いし
そうこうしよん間に桜は満開になって
更には
爆弾低気圧とかいう、わけわからんもんがやって来るし
ほしたら
すでに散りよん桜もあるし、、、
自然との共存共栄
これまで色んな所で見聞きしてきましたし、数多くの表現者や思想家が訴え続けてきた使い古された言葉ですが
自然の猛威
情け容赦のない恐ろしさを目の当たりにして
自然の驚異
同時に逞しさや力強さやその生命力みたいなものを教わった日本人は
国土の開発や便利さを追求していく事の結末が果たして本当に豊かな事なのか
そろそろ本気で考え始めた方が良いような気がします。
ナンダカ又もやバランバランに書き殴りましたが
要するに桜はキレイやな~って事です。
じゃあね