一年前、津波警報が発令されてココに来たな~
って言いながら
水門点検に行って来ました
あの日、東北で多くの消防団員も犠牲になりました
恐らく、まさかあんな大津波が来るとは思っていなかった事でしょう
あの地震と津波が九州を襲っていたら
津波に飲み込まれた消防団員は僕だったかもしれません。
地震で倒壊した家屋の下敷きになったのは僕の家族だったかもしれません。
行方不明になったまま消息が掴めない友人も数多くいたかもしれません。
命は助かっても、なにもかもを失ってしまい悲しみに暮れていたのは僕かもしれません。
恐ろしくなってきますし、心も痛みます。
あの時全国民が、そう考えて緊張感の中で善意の輪が広がりました。
防災意識も高まりました。
やっとなのか、まだなのかは分かりませんが、一年経った今、そういった意識が少し薄れている自分を反省してます。
あの大災害を教訓に、価値観や人生観、それに防災意識など、色んな事を学んだはずです。
東日本の方々の尊い犠牲や、様々な理由で未だに苦しんでいる被災者の魂に報いるために僕らに出来る事って何があるんやろか?
被災地支援を恒常的に意識してる人は立派だと思いますが、それも限界があります。
常日頃から自分や家族、周囲の人間の身体・生命・財産を守れるよう、もしもに備えておく努力は不可欠です。
決して忘れずに語り継ぐ事も大事だと思います。
改めて、当たり前の日常を過ごせている事に感謝しなきゃですね。
他に何ができるんやろか?
今を生きる僕らの使命や責任って何やろか?
僕の学のない頭では答えが出ませんが、昨今話題になってる瓦礫処理の問題、以前このブログに書いた事あるような気もしますが僕は受け入れ賛成です。
あれだけ、「みんなで一つに」とか「絆を大事に」とか声高に叫びながら、自治体の首長が瓦礫処理の受け入れ賛成を表明すると、途端に非難を浴びせる。
おかしくないっすか??
確かに数値についての課題はあります。政府の示す数値が信用できない、何が安全なのか分からない。
ただ、そこはもう自分の住んでる地域の、自分達の選んだ首長さんの判断を信用するしかないじゃないっすか。
どう考えたって、あの瓦礫を東北だけで処理するのは限界がありますよ。
ほしたら、みんなで分かち合う、痛みを分け合うしかないやん。
極論すればさ、そんなに嫌なモンをずっと東北に放置しとけって言うんですかいな?
あ、話があっちゃこちゃし過ぎなんで、この辺にしときますが、僕は受け入れ賛成です。
東北と大分の距離を考えたら、費用面を含めて効果的なのかどうかの問題はありますが、受け入れを表明するべきやと思います。
それから、、、確かに丸一年は今日なんですが、あの日は平日の金曜日だった記憶が強いので、感覚がついて来ない自分もいます。
写真は、今朝水門点検の際に大分川の河川敷で見つけた「つくし&黄色い花」と去年の6月に気仙沼の被災地で見つけた「黄色い花」です。
じゃあね