初代高橋竹山は、1910年生まれ。

 

3歳の時失明し、

 

生きていくため津軽三味線を必死に習得しました。

 

なんといっても1910年生まれの方です。

 

戦前は、津軽三味線奏者は家に上げてもらえず

 

玄関先で演奏したそうです。(これはねぷた村での説明)

 

当然、当時は津軽は裕福な家庭ばかりではありません。

 

2代目高橋竹山氏がコンサートで話していました。

 

「雪や水を掛けられて追い払われたしました」

 

「特に、戦前の警官はひどかったのですよ。

 

初代のことを『非国民』と言って、

 

先生のことを脅したのです」

 

従軍できない盲目の人に対して、

 

その存在価値を認めなかったのでしょう。

 

 

その後努力を重ね、

 

津軽三味線第一人者になりました。

 

その波乱の人生は、

 

映画になり自伝も残されています。

 

 

津軽三味線には、こうした苦労した方々の魂が込められています。

 

1998年、亡くなりました。

 

今は2代目が活躍しています。