8月9日(水)晴れのち曇り。
6月12日以来のブログである。先ずは皆様への感謝とお礼まで。
猛暑お見舞い申し上げます。どうかご自愛くだされ!
先日は、小生の71回目の誕生日に際し、大いなる祝福と励ましを頂戴し、心から痛み入りました。有難うございます。
さて、6月24日(土)に、テレビ中継による課長クラスへの「論語に学ぶ人間学」(二時間講演)後は、ボーと読書をしながら、下半身の鍛錬強化に精を出しながら、暑さに体力を奪われながらのダラダラな日々を送ってまいりました。
7月22日(土)に、西宮北口の安寿での「夏の眞熟・素交会」で、塾生たちに大いに励まされながらも、何となく無気力な日々を送ってきたようだ。実にシャキッとしない日々だったようで・・・。7月中は講演の予定がなく、実は白内障の手術でもと思いながらも、決心がつかず悶々とした状況だった。
8月5日の夜、気合を入れ直し、明日の71歳の誕生日を機会に、立て直して8月31日に予定されている講演へ全力投球をしようと気合を入れ直した矢先。6日の誕生日を迎えたのだった。
縁とは不思議なもので、6日の午前中のこと。午前中、向こう岸の仁川霊園に墓参に来た教え子が、お中元を持参で挨拶に訪宅してくれたのだ。この教え子は小生が十年来人間教育顧問をしている上場会社の社長である。中学・高校の六年間は一度も授業も担当したこと、担任もやったことのない生徒であった。ただ小生が生徒生活指導部長をしていた時、お世話したようだが、こちらは覚えていない。彼に言わせると「ただただ怖かった」そうな・・・。それが小生の定年退職の記念パーテイーの時参加してくれて、「今、父親の会社を継いで、社長をしている。来年上場しようと思っているので、人間教育担当として、管理職者研修と新入社員研修をしてくれませんか」と頼まれ、快諾したという次第である。そこで、2007年から今日まで10年間、月一回の講演を継続しているわけだ。この人間教育による人つくり・自分つくりは大いに成功し、エンジニアの人材派遣会社としては上々の出来を誇っているそうだから、有り難いことである。縁とは不思議であると言えるかもしれない。またこれは小生にとっても大きな刺激であり、今では生きがいにもなっている。位は人をつくるというが、彼を見ていると大いにうなずけるから、これまた真理かもしれぬ。
この教え子の会社は、9月に創業55周年を迎える。その記念としてこの十年間の管理職者への人間学研修のためのテキストとして配布してきたテーマ「先賢に学ぶ」「孫子は語る」「帝王学瑣言」を一冊にまとめた『帰根講座』が出版配布されるそうだ。有り難い・嬉しい出来事となりそうだ。余分に印刷してもらい、眞塾の塾生にももらって上げられそうだ。ご期待ください。
6日の誕生日にはまた不思議な縁を感じた出来事があった。小生の人生の師は安岡正篤翁であるが、埼玉県比企郡嵐山町菅谷にある郷学研修所・安岡正篤記念館が出版している季刊誌「郷学」がある。そこの事務局長・田中氏から原稿の依頼が舞い込んできたのだ。8月26日締め切りの依頼であった。題は何でもという一番厄介な頼みでしたが、何となく引き受けることに相成った次第。ところで「郷学」とは、皆さんにはなじみがないかも。
学問には知識を広め事物の理法を究めることと、己を修める修養の学とがある。
修養の学とは第一に、人生如何なることが起きてもそれに湛然と処し得るように「人間の学」を修めることである。第二は、地方郷党の先賢を顕彰し、その風土に培われている学問を振興して志気を振起することであり、これを「郷学」と言う。
常に郷党の先賢の事績を探り、その人物学問によってそれぞれの郷里に確乎たる信念と教養を持つ人材を養成することが「郷学」の目的だ。
さて、如何なる事を書き綴るか、ここ二、三日思索中であるが・・・。どうなることやら?
何はともあれ、これが「つれづれなるがままに」久しぶりのブログ書きであった。なにしろ、足の痺れを伴侶に、時には心萎えながらも、活きている、否活かされていますゆえ、ご安心あれ!