1月3日(水)曇

  謹賀新年 

  本年の干支は戊戌(ぼじゅつ・つちのえ・いぬ)、戊も戌も茂に通じ、共に茂の意です。

 後漢の『釈名』には、「茂なり。物皆茂盛するなり」とあいます。樹木でも茂るということは樹木が紛糾し衰退するという意味を表します。つまり、樹木も枝葉が繁茂し過ぎると、日当たりや風通しが悪くなる。そうなると懐が蒸れ、蟲がつき、梢が止まり、根が上がって、悪くすると枯れてしまうことになります。人間の同じで、家庭や会社、殊に仕事や商売がうまく行きすぎしまう、トントン拍子でうまく行きすぎると、調子に乗ってしまい、大きな墓穴を掘ってしまうことになるものだよとの戒めでもあります。

 そこで我々がいかなる心構えで紛糾し衰退する自分を正しい繁茂にもってゆくかということですが、それは樹木と同じように繁茂した枝葉を剪定し、咲きほこる花や成り過ぎた実を間引くことが需要なように、トントン拍子に栄え驕慢になった自分を反省し謙虚さを取り戻すか。これに尽きます。幸い戊戌の戌には戊に一が加わった文字で、この一は陽気・一陽‣生気を表し、我々や樹木がしっかりと根に帰り、過剰な物事を思い切って大整理して、あらゆる停滞・沈滞を一掃すれば、まだまだ今年の歳も維新・一新できる年回りだということです。

 結局、本年度のキーワードは「戌削」ということになりましょう。どうぞ私生活や仕事に於ても果敢なる「戌削」を心掛けて頂きたく存じます。「年頭まず自ら意気を新たにすべし」「年頭古き悔恨を棄つべし」「年頭決然滞事を一掃すべし」といきたいものです。

 今年もあなたの心の平安と幸福を心から念じています。

  10月27日(金)晴。

 8月9日以来のブログ。10月から新たに『老鶏、呻吟ス』から新たに隠居して新しきわが道に入ることとした。「老い」ということを切実なものと実感し、終に精神的にも自己の内実を落ち着いて風流に富む日常を作り上げようとする一つの老境の情味から標記の題目とした次第である。

 さて、「老いて学べば死して朽ちず」で、人間、肉体より精神が衰退するのがより早く訪れることを切実に感ずる今日この頃。10月7日、朝の8時から12時までの二時間講演が終了し、帰宅。午後3時の飛行機に乗って福岡へ強行軍で旅をすることとなったのですが、ここから小生の心ばえの大変化が始まったようだ。ここ十年あまりの講演の中でも最悪の講演をやらかしてしまい、大いに落ち込んでしまった精神状態での九州の旅でした。8日の義理の弟の新築完成祝賀会の会食に招待されたのをきっかけに横浜の次男坊夫婦家族と東京の娘夫婦の三家族で、7日の夜は二人孫娘を中心に九州博多の郷土料理を頂き、大いに彼らの喜びをわが老夫婦は自らの喜びとして一夜を楽しんだ。そこまでは表面的には感謝と歓喜に満ち、その日の最悪の講演を悔み悲しむことなく楽しい時間のみに己を忘れ過ごすことができた。

 ところが、ここ2,3日間の体調は、晩秋を迎え足の痺れは絶好調で、この上もなく最悪の状況に追い込まれ、怒りがこみ上自らを制することのできぬ絶叫したくなるくらいのところまで来ていた。その状況での翌朝家内の実家・久留米へ移動し、義理の新築の豪邸へ親戚全員が集合し、案内・見学が行われ、祝賀会会場へと移動。乾杯の挨拶をさせられることとなったが、この挨拶で異常な精神状態の小生は大人気もなく毒に満ち溢れた皮肉たっぷりの挨拶をやらかしてしまった。下手の長談義とはよく言ったもので、余分なこと言ってしまい、家族命の家内の心を大いに傷つける痛み入らぬ挨拶をやってしまったと大いに叱責を受けることと相成った。

 「富は家を潤し、徳は身を潤す」という言葉を用いて、しっかり祖父の後継ぎとして大いに成功を治め、町の長者として称えられている義兄弟は更なる富を積まれ潤い、確かに立派な豪邸を完成した。今後は今まで以上に謙虚に家が善を積み重ねられ、徳に満ち溢れ家族ばかりか周りの者たちをも潤って上げる立派な人づくりに励んで下され!という挨拶をし乾杯、と行きたかったのだが、どうも我が毒舌はこれで止まらぬこととなり、ますますやっかみと成金へのひがみ根性がに満ち溢れた挨拶を加えてしまったようだ。

 小生、家に帰っても、家内に大いに攻め立てられることが続き、終に、祝宴に参加した皆に、乾杯の挨拶時のお詫び状をしたため郵送した次第で、病体ではなく病人となり病気になった自分を大いに悔いて、旅行後一週間は大いなる深省と恥じ入る日々でございました。日頃から講演ごとに「老い」について講釈を垂れてきた。「老い」は単に年を取り老衰することではなく、年を取りごとに、老熟(老いて人間・人物として熟れたものになる)、老練(老いて人間として熟れたものになる)して、老成しなければ、本当の老い方とは言えない。益々の反省と修養の必要性を感じさせられる大事件でした。そこで初めて「隠居入道」への切り替えとなったわけだ。

 さてさて、2013年4月に、肝臓癌の切開・徐去手術から始まって、昨年の二回の動脈塞栓術(TAE)とラジオ波焼灼術(RFA)で何とか身体から癌が消えたと思われていたのが、9月に再度肝臓への転移が確認され、10月17日入院、18日再度三回目のTAEとRFAの術がされたという次第。体に負担が少ないということで、切開切除を避けてこの治療法に変えてみたが、これが思ったより、身体への負担は大のようだ。今まで二回の治療では、治療処置後は数日間でCTの結果次第で2日ぐらいで退院できた。ところがこの三回目は炎症を起こしているのか、体調は回復が遅く、熱が下がらず、その倍の日にちを要することとなった。結果、癌の傍に胆嚢があり、それを傷つけないように慎重さが求められ、再度1、2か月後入院して術を受けたほうが確実に癌の消滅を可能にするということだった。そういうことで、年明けにも入院となるであろう。

 ところで、8月9日のブログで知らせた季刊誌『郷学』への原稿は。101号という記念誌に掲載され全国の会員たちに配送されました。手元に10冊の送付はありましたが、皆に配布できぬのは残念だが、11月の宝塚での「素交会」での平成30年の干支の意義の配布分の中で読まれることとなりますので、楽しみにお待ちください。

そして、ここ十年余り講演をしてきた企業が9月、設立55周年と10月26日東京二部上場を記念して、講演で用いた取締役対象の「帝王学瑣言」、部長クラス対象の「孫子は語る」、課長クラス対象の「先賢に学ぶ」の三部門のテキストを纏めて『帰根講座』という表題での書として社内刊行し、社の経営理念である人づくりの原理原則となる2百べーじ以上から成る『人間学のしおり』という書を社内刊行することとなり、10月20日に出版完成しました。

 今年の年末の「素交会」では『帰根講座』を参加者全員に配布したく準備していますので楽しみにお待ちください。

8月9日(水)晴れのち曇り。

6月12日以来のブログである。先ずは皆様への感謝とお礼まで。

 猛暑お見舞い申し上げます。どうかご自愛くだされ!

先日は、小生の71回目の誕生日に際し、大いなる祝福と励ましを頂戴し、心から痛み入りました。有難うございます。

 さて、6月24日(土)に、テレビ中継による課長クラスへの「論語に学ぶ人間学」(二時間講演)後は、ボーと読書をしながら、下半身の鍛錬強化に精を出しながら、暑さに体力を奪われながらのダラダラな日々を送ってまいりました。

 7月22日(土)に、西宮北口の安寿での「夏の眞熟・素交会」で、塾生たちに大いに励まされながらも、何となく無気力な日々を送ってきたようだ。実にシャキッとしない日々だったようで・・・。7月中は講演の予定がなく、実は白内障の手術でもと思いながらも、決心がつかず悶々とした状況だった。   

 8月5日の夜、気合を入れ直し、明日の71歳の誕生日を機会に、立て直して8月31日に予定されている講演へ全力投球をしようと気合を入れ直した矢先。6日の誕生日を迎えたのだった。

 縁とは不思議なもので、6日の午前中のこと。午前中、向こう岸の仁川霊園に墓参に来た教え子が、お中元を持参で挨拶に訪宅してくれたのだ。この教え子は小生が十年来人間教育顧問をしている上場会社の社長である。中学・高校の六年間は一度も授業も担当したこと、担任もやったことのない生徒であった。ただ小生が生徒生活指導部長をしていた時、お世話したようだが、こちらは覚えていない。彼に言わせると「ただただ怖かった」そうな・・・。それが小生の定年退職の記念パーテイーの時参加してくれて、「今、父親の会社を継いで、社長をしている。来年上場しようと思っているので、人間教育担当として、管理職者研修と新入社員研修をしてくれませんか」と頼まれ、快諾したという次第である。そこで、2007年から今日まで10年間、月一回の講演を継続しているわけだ。この人間教育による人つくり・自分つくりは大いに成功し、エンジニアの人材派遣会社としては上々の出来を誇っているそうだから、有り難いことである。縁とは不思議であると言えるかもしれない。またこれは小生にとっても大きな刺激であり、今では生きがいにもなっている。位は人をつくるというが、彼を見ていると大いにうなずけるから、これまた真理かもしれぬ。

 この教え子の会社は、9月に創業55周年を迎える。その記念としてこの十年間の管理職者への人間学研修のためのテキストとして配布してきたテーマ「先賢に学ぶ」「孫子は語る」「帝王学瑣言」を一冊にまとめた『帰根講座』が出版配布されるそうだ。有り難い・嬉しい出来事となりそうだ。余分に印刷してもらい、眞塾の塾生にももらって上げられそうだ。ご期待ください。

 6日の誕生日にはまた不思議な縁を感じた出来事があった。小生の人生の師は安岡正篤翁であるが、埼玉県比企郡嵐山町菅谷にある郷学研修所・安岡正篤記念館が出版している季刊誌「郷学」がある。そこの事務局長・田中氏から原稿の依頼が舞い込んできたのだ。8月26日締め切りの依頼であった。題は何でもという一番厄介な頼みでしたが、何となく引き受けることに相成った次第。ところで「郷学」とは、皆さんにはなじみがないかも。

 学問には知識を広め事物の理法を究めることと、己を修める修養の学とがある。

 修養の学とは第一に、人生如何なることが起きてもそれに湛然と処し得るように「人間の学」を修めることである。第二は、地方郷党の先賢を顕彰し、その風土に培われている学問を振興して志気を振起することであり、これを「郷学」と言う。

 常に郷党の先賢の事績を探り、その人物学問によってそれぞれの郷里に確乎たる信念と教養を持つ人材を養成することが「郷学」の目的だ。

 さて、如何なる事を書き綴るか、ここ二、三日思索中であるが・・・。どうなることやら?

 何はともあれ、これが「つれづれなるがままに」久しぶりのブログ書きであった。なにしろ、足の痺れを伴侶に、時には心萎えながらも、活きている、否活かされていますゆえ、ご安心あれ!