前回「4月7日は鷹女忌(三橋鷹女の命日)」と書きましたが、実はこの日は尾崎放哉(おざきほうさい)の命日でもあるんです。
(鷹女が1972年没、放哉が1926年没なので、生きた時代にはかなりの開きがありますが。)
尾崎放哉といえば、自由律俳句の俳人として有名です。
咳をしても一人
足のうら洗へば白くなる
こんなよい月を一人で見て寝る
といった代表句は聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。
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放哉の句というと、「自由」「孤独」「諧謔味」といった言葉で語られることが多いですが、私が彼の句から感じるのは、「こわさ」です。
例えば、こちらの句。
墓のうらに廻る
えっ、なんで!?って思いますよね。
ふつう、墓というのは表から見るものなのに。
うらに廻っても、何もないはずなのに。
なんだかオチのない怪談を聞いたときのような、なんとも言えないぞわぞわっとした気持ちになります。
ほかに、私が特にこわいと感じた句はこちら。
爪切つたゆびが十本ある
「爪伸びたゆびが十本ある」なら、まだ分かるのです。
誰だって爪が伸びてきたら、「あー、そろそろ切らなきゃなー」と思い、爪を見るでしょう。
しかし放哉は、「切った後のゆび」を見ているのです。
そして、「十本ある」と認識しているのです。
正確に、客観的に。
「ゆびを見る」という行為から連想されるのは、同時代の歌人、石川啄木(※)のこの歌です。
はたらけどはたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざりぢつと手を見る
放哉の句に比べて、こちらははるかに分かりやすいと言えるでしょう。
毎日毎日くたくたになるまで働いて、それでも生活は楽にならない。
一体この先いつまでこんな日々が続くのだろうか。
じっ……と、手を見る。
「手を見ているときの気持ち」が、わりと容易に想像できます。
しかし放哉の句の場合、「ゆびを見ているときの気持ち」が、なんだかよく分からないのです。
爪切つたゆびが十本ある
ただそれだけ。
理由もなく、意味もなく、十本のゆびが、ただそこにあるのです。
自分のゆびかもしれないし、誰かのゆびかもしれません。
手のゆびかもしれないし、足のゆびかもしれません。
とにかく、爪切ったゆびが、十本そこにあるのです。
考えているうち、なんだかこの句を詠んだときの放哉の気持ちを、想像してはいけないような気がしてきました。
想像してしまったら、なんだか「そっち側の世界」に連れて行かれそうで、こわい。
「そっち側の世界」とは、
「指」が「ゆび」である世界。
「墓のうら」にある世界。
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放哉のような境地に行き着くのは、たぶん凡人にはできないことだし、行き着いたところであまりハッピーになれるとは思えないのですが、私なりに放哉に捧げる句を詠んでみました。
ソーダ水わたしにはないきみのほね
「指」が「ゆび」であることを、「骨」が「ほね」であることを、ときどき思い出すために、私たちは俳句を詠むのかもしれません。
※余談ですが、放哉と啄木は生まれた年が1年しか違わないようです(放哉は1885年生まれ、啄木は1886年生まれ)。
啄木の方がかなり早く死んでしまいますが(享年26歳)、時代の流れの中で見ていた風景には、共通したものがあったのかもしれません。
それでいて作品の方向性は全く違うというのが、興味深いところですね。
4月7日は鷹女忌(たかじょき)。
昭和期に活躍した女性俳人、三橋鷹女(みつはしたかじょ)の命日です。
激しい女性の情念を詠むその句風は、どこか与謝野晶子の短歌を彷彿させます。
それもそのはず、ウィキペディアによると、与謝野晶子に師事していた兄の影響で作歌を始め、後に俳句も詠むようになったとか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%A9%8B%E9%B7%B9%E5%A5%B3
そんな鷹女の代表句がこちらです。
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし
「鞦韆(しゅうせん)」とは聞きなれない言葉ですが、ぶらんこのことです。
会社帰りに通る公園でぶらんこを見かけるたび、私はこの句を思い出します。
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好きな人のことを考えながら、一人ぶらんこを漕ぐ女性。
「他人のものを盗ってはいけない」と、何度自分に言い聞かせたことでしょう。
私はもう、子供ではないのだから。
世の理というものを分かっている大人なのだから。
しかし彼女は、思い悩んだ挙句、ある時ふと気付くのです。
前後に揺れる単純なぶらんこの動き。
漕ぐ以外に使い道のない、ただの子供の遊び道具。
心の中に積もってゆくあの人への想い。
道徳にも幸福にも結びつかない、ただ熱いだけのこの感情。
それら二つがぴたりと合わさり、あるリズムが生まれます。
しゅうせんは こぐべし あいは うばうべし
論理を直観が、大人を子供が、正気を狂気が、打ち負かす瞬間です。
人から何を言われようが、ぶらんこは漕がなければならないのです。
他人をどれだけ傷つけようが、愛は奪わなければならないのです。
なぜならぶらんことは、そういうものだから。
愛とは、そういうものだから。
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昭和期の女性というとどうしても、「三歩下がってついていく」ような控えめな性格を想像してしまいますが、与謝野晶子や三橋鷹女といった強い自我を持った人もいたんですね。
もちろん、今よりはるかに女性が抑圧されていた時代ですから、周りからの反発を受けることも多かったでしょうが。
同じ女性として、おそまつながら私も、鷹女に捧げる句を詠んでみました。
鷹女忌やわたくしといふ導火線
いつの時代も、女性は爆弾につながっています。
火をつけないよう、男性の皆さんはお気を付けください。
昭和期に活躍した女性俳人、三橋鷹女(みつはしたかじょ)の命日です。
激しい女性の情念を詠むその句風は、どこか与謝野晶子の短歌を彷彿させます。
それもそのはず、ウィキペディアによると、与謝野晶子に師事していた兄の影響で作歌を始め、後に俳句も詠むようになったとか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%A9%8B%E9%B7%B9%E5%A5%B3
そんな鷹女の代表句がこちらです。
鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし
「鞦韆(しゅうせん)」とは聞きなれない言葉ですが、ぶらんこのことです。
会社帰りに通る公園でぶらんこを見かけるたび、私はこの句を思い出します。
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好きな人のことを考えながら、一人ぶらんこを漕ぐ女性。
「他人のものを盗ってはいけない」と、何度自分に言い聞かせたことでしょう。
私はもう、子供ではないのだから。
世の理というものを分かっている大人なのだから。
しかし彼女は、思い悩んだ挙句、ある時ふと気付くのです。
前後に揺れる単純なぶらんこの動き。
漕ぐ以外に使い道のない、ただの子供の遊び道具。
心の中に積もってゆくあの人への想い。
道徳にも幸福にも結びつかない、ただ熱いだけのこの感情。
それら二つがぴたりと合わさり、あるリズムが生まれます。
しゅうせんは こぐべし あいは うばうべし
論理を直観が、大人を子供が、正気を狂気が、打ち負かす瞬間です。
人から何を言われようが、ぶらんこは漕がなければならないのです。
他人をどれだけ傷つけようが、愛は奪わなければならないのです。
なぜならぶらんことは、そういうものだから。
愛とは、そういうものだから。
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昭和期の女性というとどうしても、「三歩下がってついていく」ような控えめな性格を想像してしまいますが、与謝野晶子や三橋鷹女といった強い自我を持った人もいたんですね。
もちろん、今よりはるかに女性が抑圧されていた時代ですから、周りからの反発を受けることも多かったでしょうが。
同じ女性として、おそまつながら私も、鷹女に捧げる句を詠んでみました。
鷹女忌やわたくしといふ導火線
いつの時代も、女性は爆弾につながっています。
火をつけないよう、男性の皆さんはお気を付けください。
9月19日は獺祭忌(だっさいき)。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」でおなじみ、正岡子規の命日です。
「そもそもなぜ獺祭忌というんだろう?」
と気になってウィキペディアで調べてみたところ、こんなことが書いてありました。
獺祭魚(だっさいぎょ)・獺魚を祭る(たつうおをまつる)とは、カワウソ(獺)が、捕らえた魚を供物に並べ先祖を祭る様を指す。
カワウソは捕らえた魚を川岸に並べる習性があり、これを祭儀になぞらえた。転じて多くの書物を調べ、引用する人の様を指す。
晩唐の政治家、詩人である李商隠は作中に豊富な典故を引いたが、その詩作の際に多くの参考書を周囲に並べるように置いた。
上記の比喩から、自ら獺祭魚・獺祭と号した。
またそれ以降、その様を指して用いられるようになった。
正岡子規は自らを獺祭書屋主人と称した。
子規の命日である9月19日を獺祭忌と呼ぶこともある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8D%BA%E7%A5%AD%E9%AD%9A
「獺祭」と言えば、最近では日本酒の名前にもなっていますね。
あちらは獺越(おこぞえ)という蔵元の地名から1字を取ったそうです。
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さて子規といえば俳句のイメージが強いですが、短歌も数多く詠んでおり、中には外国の地名を織り込んだものもあります。それがこちら。
足たたば北インヂヤのヒマラヤのエヴェレストなる雪くはましを
子規は子供のころから体が弱く、晩年は肺結核をわずらい、ほとんど寝たきりで過ごしました。
しかし体は動かなくても、俳句や短歌を詠むことで、魂の旅行を楽しんでいたのでしょう。
まるで心の中のグーグルマップで、
北インヂヤ
→ヒマラヤ
→エヴェレスト
とどんどんフォーカスしていき、そこに積もった雪の冷たさを口いっぱいに感じているかのような、凄味のある歌です。
もちろん根底には、外出したくてもできないという悲しみと、雪を求める熱っぽい体という肉体的な苦しみとがあるのでしょうが、それ以上に私はこの歌から、
「自由」
というものを感じます。
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1902年9月19日、子規は咳と痰に苦しみながら亡くなりました。
享年34歳でした。辞世の句はこちら。
糸瓜(へちま)咲(さい)て痰のつまりし仏かな
おそまつながら私も、子規に捧げる句を詠んでみました。
インドより遠き場所あり獺祭忌
奇しくも獺祭忌の翌日より、私はインド出張に行ってきます。
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」でおなじみ、正岡子規の命日です。
「そもそもなぜ獺祭忌というんだろう?」
と気になってウィキペディアで調べてみたところ、こんなことが書いてありました。
獺祭魚(だっさいぎょ)・獺魚を祭る(たつうおをまつる)とは、カワウソ(獺)が、捕らえた魚を供物に並べ先祖を祭る様を指す。
カワウソは捕らえた魚を川岸に並べる習性があり、これを祭儀になぞらえた。転じて多くの書物を調べ、引用する人の様を指す。
晩唐の政治家、詩人である李商隠は作中に豊富な典故を引いたが、その詩作の際に多くの参考書を周囲に並べるように置いた。
上記の比喩から、自ら獺祭魚・獺祭と号した。
またそれ以降、その様を指して用いられるようになった。
正岡子規は自らを獺祭書屋主人と称した。
子規の命日である9月19日を獺祭忌と呼ぶこともある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8D%BA%E7%A5%AD%E9%AD%9A
「獺祭」と言えば、最近では日本酒の名前にもなっていますね。
あちらは獺越(おこぞえ)という蔵元の地名から1字を取ったそうです。
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さて子規といえば俳句のイメージが強いですが、短歌も数多く詠んでおり、中には外国の地名を織り込んだものもあります。それがこちら。
足たたば北インヂヤのヒマラヤのエヴェレストなる雪くはましを
子規は子供のころから体が弱く、晩年は肺結核をわずらい、ほとんど寝たきりで過ごしました。
しかし体は動かなくても、俳句や短歌を詠むことで、魂の旅行を楽しんでいたのでしょう。
まるで心の中のグーグルマップで、
北インヂヤ
→ヒマラヤ
→エヴェレスト
とどんどんフォーカスしていき、そこに積もった雪の冷たさを口いっぱいに感じているかのような、凄味のある歌です。
もちろん根底には、外出したくてもできないという悲しみと、雪を求める熱っぽい体という肉体的な苦しみとがあるのでしょうが、それ以上に私はこの歌から、
「自由」
というものを感じます。
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1902年9月19日、子規は咳と痰に苦しみながら亡くなりました。
享年34歳でした。辞世の句はこちら。
糸瓜(へちま)咲(さい)て痰のつまりし仏かな
おそまつながら私も、子規に捧げる句を詠んでみました。
インドより遠き場所あり獺祭忌
奇しくも獺祭忌の翌日より、私はインド出張に行ってきます。