9月19日は「苗字の日」だそうです。
1870年(明治3年)9月19日に、戸籍整理のため「平民苗字許可令」という太政官布告により平民も苗字を名乗ることが許されたことでこの日が「苗字の日」なんですね。
一年半ほど前のお話になりますが・・・・
年に一度の茨城県石岡市のお客さんへ納品に向かう高速道路で何故かふと「そうだ!木原村に行こう!」と。
東京生まれの親父が生前に「木原の先祖は茨城の木原村の出身だ!」と言っていたのを思い出したのだ。
木原村は現在では茨城県稲敷市美浦村木原という地名で霞ヶ浦の南側に位置し、近くにJRAのトレーニングセンターがある所だ。
旧木原村の入口近くを通ったことはあるものの、親戚がいるわけでもなく今回が初めての潜入となった。
たまにテレビで○○村の住人は八割が○○さんだ!ということを聞くことがある。地名をそのまま村人が苗字にしてしまうパターンを想像しながら木原村を進む。
地名が木原だから、バス停は木原、小学校も木原、ガソリンスタンドは木原SS、葬儀社は木原斎場。すごいぞ!木原ワールドだ!
ん?いや、まてよ!あれ?
いくら見回すも木原の表札は無い。第一木原は発見できるのか?
木原バス停前の饅頭屋で聞き込みを開始。まずは客を装いどこにも値段の書いてない酒まんじゅうと茶まんじゅうを注文。どぶろくをまんじゅうの皮に練り込んでいる話などを聞き、いよいよ本題へ。
木原村に来た訳を話し、おばあちゃんに質問すると「いや、嫁に来てから一度もここで木原という人には会ったことねぇ」というまさかのこたえが。おばあちゃん、俺が期待してたのは「私も木原だ。」なんですう。
ちょっとブルーになりかけたが、ある看板を発見!『木原城跡公園』と。
そうか!そういうことか!先程のまんじゅう屋のばあばは庶民。俺はこの木原城主木原の子孫!きっと何かの戦で落城し木原は江戸に逃げたのだ。もしかしたらこの公園は全部俺のものかも!
公園の説明板には木原城主「近藤家」の系譜が書かれてました
千住に千住さんはいないけど。
柴又に柴又さんもいないけど。
「お父さんの話は本当かもよ」と言ってくれた饅頭屋のおばあちゃん、お饅頭美味しかったです。また来年2月に行きますね。計算が大変そうだったから、また私が会計計算しますね。
結局、先祖が木原村出身なのか、木原という苗字の由来は何なのか何一つわかりませんでした。
ちなみに戸籍謄本を辿っていっても、東京大空襲で戸籍の原本が燃えてしまい墨田区向島に父の戸籍があったことまでしかわかりませんでした。
みなさんは自分のroots知ってますか?