知られるべきもの、即、究極の真理を知ることを妨げる障害。
煩悩障とともに説かれて、二つをまとめて二障と言う。
煩悩障と対比すれば、煩悩障が「我への執着によって生じ、それによって生死に流転するのに対して、所知障害は「もの」(法)への執着によって生じ、それによって菩提を得ることができない。
たとえば「自己の身体」と思ってそれに貪欲を起こす場合、この貪欲の対象を分析すると、一つは「自己」であり、今一つは「身体」である。
この中「自己」というものが実体としてあると執着して起こす貪欲が煩悩障であり「身体」があると思って起こす執着が所知障である。
人は煩悩障と所知障との両面を同時にそなえている。