日本女性の11人に1人がなると言われている乳がん。
その1人になりました。
3月中旬のある日,2月に受けた乳がん検診の結果が送られてきました。
「要精密検査」。
これを受けて,乳腺外科の専門医がいる病院を探しました。
ふと,10数年前に産科で紹介してもらって診て頂いたことがある,
日赤病院の女性の医師を思い出し,早速電話で問い合わせました。
その日から,数回の検査による乳がん判明,そして昨日手術の日程が決まるまで怒濤の1ヶ月を振り返ります。
3月30日(水)
朝イチで日赤病院へ。
再度のマンモグラフィーとエコー検査を受けました。
この日は検査のみ。
2週間後に,結果と説明を聞きに行く予約をしてお昼に帰りました。
4月14日(木)
診察。
10数年ぶりの山口先生。ご健在。
マンモの画像から,乳腺の引きつりが気になることと,
エコーにぼんやりしこりのような影があることが指摘されました。
「積極的に乳がんと言う感じじゃないけど,念のため病理検査をしてみましょう」
そしてすぐに右乳頭近くの細胞の病理検査をしました。
麻酔をして結構太い針を刺した模様。
恐くて見れなかった・・・。
結果が分かるまで1週間。
確認の電話をしてくださいとのこと。
4月21日(木)
お昼,恐る恐る結果を電話で確認しました。
良性であってほしいと祈る気持ちでしたが・・・。
「大島さん,やっぱり悪性の細胞が出ていますので,MRIを撮らせてください」
一瞬,時が止まったようでした。
「まさか,まさか・・・悪性・・・」
呆然としながらも,手帳片手にMRIの日程の候補をお伝えして一旦電話を切りました。
誰もいない午後の部屋に一人,昼ご飯を食べるのも忘れ,しばらくテレビをぼーっと眺めて過ごしました。
再び病院から電話があり,翌週火曜の午後に検査の日程が決まりました。
「なんで私が?」
「私,死ぬの?」
「全身に転移していたらどうしよう・・・」
頭の中はそんな思いがグルグルめぐっていました。
4月26日(火)午後
人生初のMRI検査。
さすがに緊張。
技師さんや看護師さんは皆女性で少しホッとしました。
検査着に着替えると,手の甲に点滴。
「これ,何の点滴ですか?」
何でも聞いてみたい私。
「ただの生理食塩水です。検査中にここから造影剤を入れるので,その準備ですよ」
丁寧に答えてくださり心が和らぎました。
検査室は結構な音が鳴り響いていたけど,
うつ伏せで,目を閉じていたら,意外とツラくなくて思ったよりあっという間に終わりました。
再び診察。
待っている間に,手帳とペンの用意。
一人だし,ちゃんとメモって帰らなければ!
山口先生,まずは丁寧に「乳がん」の説明をしてくださいました。
私の状態は今のところ,がんが乳管内にとどまっている「非浸潤性乳管がん」の可能性が高いとのこと。
乳管を破って外に出ていなければ転移はしないけど,MRIの画像を見るとけっこう乳管を伝って横に広がっている。
治療としては乳腺「全摘出」の手術,
その後に再度病理検査を経て,浸潤(乳管を破って外に出ている)がなければ治癒とのことでした。
「手術について,大島さんのお考えはいかがですか?」
この1ヶ月,少しずつ覚悟ができていた私。
「はい,大丈夫です。
3人の子どもたちを母乳で育てて,おっぱいのお役目も果たしてもらいました。
それでこの後健康に過ごせるなら,全摘でも構いません」
そう言い切りました!
自分でもビックリ(笑)
右胸を失うことに不思議なくらい執着はありませんでした。
その後,家族や職場と相談。
1ヶ月後の6月6日に手術をすることが決まりました。
日ごろポジティブで,比較的前向きな性格の私ですが,
さすがにショックと動揺,頭をかすめた「死」への恐怖で,
布団に入っても眠れない夜,日中も感情が揺れて涙があふれそうになる時があります。
けれどこうも思うのです。
人生に起こることには必ず意味がある。
この人生の一大事,
一見不幸に思える乳がんという病気になったことが,
私に何を伝えようとしているんだろう
私に何を学ばせてくれるんだろう
私の人生をどんな幸せに導いてくれるんだろう
今,その答えを考えながら,
答えが見つかるのを楽しみにしながら,
日々を過ごしています。
読んでくださってありがとうございました♡
