2023年製作の映画で、以前から知っていた映画です。ただ、映画のあらすじを少し読んだだけで、私には絶対に見ることができませんでした。過去の傷口がまだ、どくどくと血を吹き出し、当時の感情の激しい波に飲まれてしまうから。

 

 そう感じていたのは、機能不全家族、母娘共依存、両親過干渉、重度アダルトチルドレンだと知り、カウンセリングを始めて、数年経った頃でした。(カウンセリング開始は、2018年)

 

 あれからまた数年経ち、現在2025年。怖いけれど、見てみようかと一瞬思ったものの、録画予約を消しました。やっぱりあまり気は進まない。(見てみようかなと、思えるまでに、回復してきたと思いました。)

 

 買い物から帰ってきたら、ラスト20分やっていました。そこだけ見ました。

 

 自分を苦しめた毒親だとわかっていても、娘はそんな母を救いたい。だからこそ、娘の願いが、「良妻賢母」「お母さんのお母さんになりたい」という言葉だったのでしょう。

 

 「良妻賢母」は、娘本人の願いではなく、母の願いを感じ取って、代弁した言葉、ですね。

 

 娘の本心は違うところにありますが、母親の人生を生きているので、自分の心は抑圧し、感情も麻痺しているので、このような言葉になるのです。

 

 「お母さんのお母さんになりたい」は、毒親だった祖母に変わって、自分が母になって、健全な愛情を注いで育ててあげたい、ということですね。(そうすれば、世代間連鎖を止めることになります)

 

 この母娘は、私と同じように、役割逆転しています。私の原家庭とちょっと状況が一見違って見えるのは、映画の母親は、娘に逐一、口に出して、あれしろこれしろ、と指図し、教育熱が酷い母親ですが、私の母親には、そのような言動はありませんでした。

 

 それはなぜか?言う必要がなかったからです。

 

 私は先天的なエンパス、HSS型HSPです。環境によって、繊細度合いがより強烈になりましたが、表情から、空気から、人が何を思い、願い、考えているかわかります。

 

 だから、言われる前になんでもやっていました。小さい時からそうだから、ほんのちょっとの僅かな表情、声色の変化で、物事を察します。

 

 幼少期からの洗脳は強力です。母の思い、汲み取りAIになってましたから(笑)超高性能でした。

 

 映画の娘は、母を責めることなどできずに、自死してしまいます。母親は、娘の自死を信じられずに、娘の周りの人達の犯人捜しをしますが、自死したのは事実で、自分自身が娘を追い詰めていた、ということまで、心から理解することはできません。

 

 娘の死後も、同じことを結局は、下の息子にもしています。残された小さな息子の反抗によって、少しは、あれっ?と思うようですが…。

 

 娘は自分が死ぬしかない程辛かったのに、それでも母親を思う娘とは対照的に、母親が真に気づく、という所まではいっていないようなラストでした。

 

 テーブルの下にうずくまった息子を抱きしめてはいたけれど、たぶん、理解はできていない。

 

(毒親問題あるあるですが、それで気づける親ってすごく少数なんです。気づける親を持っていらっしゃる人は、宝くじに当たった確率で、幸運です。)

 

 それでも、このように、映画などを製作し、公開して、広く訴えていくことで、人の心に何かしら、響くものを増やしていくことは大事です。たとえ当事者には、響かなかったとしても…。

 

 自死した娘の担任だったアダルトチルドレンの教師のように、自分の毒親に、ついには堪忍袋の緒が切れて、料理を顔に食らわして、去って行ってましたが、そうやって、別の道を歩むことこそが、大切です。

 

 決別する、ということです。

 

 親は変わらない。でも、親の支配や、自分の人格否定、非尊重、ひいては自分の人生を壊し続ける環境や人からは、例え血縁と言えども、きっぱりと離れて、今まで苦しんできた自分の心と向き合い、回復し、一人前の自立した大人として、成長し直す人生へと軌道修正することこそが、大事なことです。

 

 心から幸せな人が増えていけば、地域が、社会が、そして国が変わっていくのです。

 

 韓国と日本という、お国柄の事情背景の違いはありますが、どこの国でも、潜在的な大きな問題となっていることは事実です。

 

 自分をダメだしする父親に、内心、怖くて震えながらでも、料理の皿を押し付けた、若き教師の、その勇気に、心からエールを送りました。

 

 自分を支配してきた、権威的な親に、そのように振る舞うには、大きな大きな勇気が必要だからです。それができても、できなくても、自分の人生の仕切り直しをすることはできる。

 

 親からの呪縛を解いて、自分を自由に羽ばたかせましょう。生きているうちにやらないと、あの世で後悔します。