最近思う。

 例えば、突然キレる大人。

 ・怒りたくて怒っているわけではない⇒怒ることが、関係を壊すことに繋がると重々承知、でもキレずにはいられない。

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 【私の親、心の事をあまり知らない人の理解】:「すぐ怒る人は、幼い人だ。子供っぽい人だ。」という、安易な決めつけ。

 

 現状:何十年と我慢し尽くして、容量一杯になり、もう、これ以上、我慢すること、受け入れることができないから。

 +極限まで我慢せず、怒りが小さい段階で適切に、言葉にして表現することが叶わなかった人。その人の今の精一杯の表現。                                    

  自分の根源を傷つけられた気がするから、必死に「怒り」という形で自己防衛している。

 

 ・泣きたくて泣いているわけではない⇒人を操作しようと、意図的に泣くことを除く、勝手に零れ落ちる涙。

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  悲しみの容量一杯。零れ出る涙を止めたいけど、止められない。

 

 (他人の言動など)

 ・気にしたくて、気にしているわけではない。⇒「私は気にしない。気にならない」の言葉は、傷口に塩を塗られる絶望感。

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 (本音)どうやったら「気にならなくなるのか」を探している。気にしてしまう理由を知って改善したい。

 

 ・一生懸命、意見を言おうとしても、遮られたりなどのアクションがあると、たちまち、自分の気持ちや意見を引っ込める。

  そして、後から、結局、言いたいことは言えなかった、となってしまう。

  ⇒ずっと母の前で、そうやって、正解などない、状況や感情でころころ変わることに、必死に対応しようとしてきた癖が染みついている。「ここはダメだった。直さなきゃ」永遠と自己反省会をして、自分を監視し、矯正し続ける。

 

 ・好きで自己肯定感が低いわけではない。

 

 ・好きで閉じこもっているわけではない。

 

 ・好きでストレスを感じているわけではない。

 

 ・好きで、不快な臭いから逃げているわけではない。(本当はとても苦痛だ)

 

 ・ストレスが高じた状態で、人よりも過敏に、他者の匂いが嫌だと感じてる状態であっても、「他者は感じない」ではなく、

  今、その人にとっては、その匂いは、確かに不快で嫌だということ。それを「気にしすぎ」とかで片づけるのは、その人の感情、感じ方を否定しているのと同じ。

 

・同じように匂いが好きな人も、その匂いを楽しむのは良いけれど、それが、他者を苦しめているとしたら?

 感じる人だけが、一方的に耐えたり、逃げたりする状況って何なんだろう?

 

・弱くて卑怯な人間は、集団、組織の仲間を作り上げることで、他者を丸め込もうとする。いじめ、性暴力などが、典型的な例。

                          

 もう過ぎた過去。だけど、その人を形成してきた癖や思い込みや制限は、ずっと残り続けている。その鋳型を消してしまいたいけれど、一瞬では消えない。気づいて解く、気づいて緩める。気づいて、工夫する、の繰り返ししかない。たった僅かな工夫がいつか蓄積される、と信じて。

 

「他者とは健全な関係を築けないまま。」もうそれでいいじゃないかと、最近思う。

 

 自分が夢中になれることを見つけたいけれど、見つからない。それでいいじゃないか、今は。そんな自分を抱きしめる。

 

 自己肯定感が低い私でもいい。合成洗剤の匂いが嫌いな私でいい。嫌なことからは逃げていい。言いたいことを飲み込んでしまって、言えなかったとしても、それでいい。怒りに任せて、感情をあらわにしても、それでいい。「人との関係を良好に」と思う心が、自分を苦しめているなら、人に嫌われたって、演じない自分でいたい。もう完璧を演じることはできない。

 

 他人に対する過剰な期待を全て葬り捨てて、自分だけが、心地良いと感じる安心感やわくわく、充足感が欲しい。それはどこにあるのか、何をすればいいのか、わからないけれど。

 

 散歩に出て、ただ歩く。菜の花や桜が綺麗だった。片田舎の平日の昼間。誰もいなくて、ありのままの、真っ新な風を感じて、

ただ、花の香りや、人工香料のない空気が、ただただ有難くて、貴重な瞬間だった。一昔前では、当たり前に得られていたことが今は、難しくなってきたからこそ、とても愛おしい。