最近、冷静に過去のエピソードを回想し、今の本来の私だったら、どういう選択をすることがベストだったか、という視点で、分析しています。
母娘共依存、両親過干渉の重度アダルトチルドレンの私は、心が空っぽだったので、人生の中のあらゆる選択を、自分以外の人(主に母親)に聞いて、鵜呑みにして決めていました。
入社三年目には、職場を辞めたくてたまらないのに(超ブラック企業でした)、「辞めたい」と言っても、親から拒否されます。
自己が確立している健全な大人なら、親の許可など取らずに、勝手にやめていいんです。尋ねる必要もありません。自分の人生です。好きにしていいんです。
ですが、当時の私は、親の許可がないと、何事も実行に移せませんでした。トイレでさえ、「行っていい?」と聞かないといけませんでした…。どんなに小さな選択さえ、自分以外の他者の意見や許可がないと、先に進めないのです。
これは、とても恐ろしいことです。自分の人生を親の意のままに、自ら進んで操られに行っているのですから。
それは、自分の事なのに、「自分がどう思うか?」と自分の心にきくという、習慣の獲得に失敗しているからです。
アダルトチルドレンは自分ではない他人の意見を鵜呑みにします。自己の確立を親に阻止されているので、自分の思いや感情には蓋をしており、わからないので、他人の意見に正解を見出そうとします。
そういう習慣が出来上がるのは、親との関係性がベースなのです。親との間に境界がなく密着し、何でも親の言う通りにしてきた人は、親以外の人とも、そのような関係性を無意識に再現します。(友人、恋人、職場の人など)
昨今「仲良し親子」というフレーズを聞きます。「仲良し」と「共依存」は、表裏一体です。「仲良し」の実態を紐解いていくと、そこには異常な関係性があり、「共依存」であることの確率の方が、圧倒的に多いです。
母子密着の形態は、皆がイメージする「仲良し」ではありません。
そこに対等な関係性、制限のない自由な意見や感情の表現、個々の意思や人格の尊重、自立といった、健全な人対人の関係性は存在していません。
大学の履修内容や科目さえ、親に決めてもらうという人が増えているのだとか。
これは忌々しき事態です。日本には、過干渉型の隠れ共依存が蔓延し、中身が空っぽなゾンビが増えていることを示唆しています。
自分と親の関係は異常だと、自覚さえしていない人が多いです。
その人の言動を冷静にしばらく観察していると、「この人はアダルトチルドレンだな」とか「親と共依存」だということが、わかります。
「共依存」などの知識が仮になかったとしても、距離感を無視してぐいぐい踏み込んでくる人には、健全な人は嫌悪感、不快感を覚えます。それは、自己の確立ができていて、自分の心のアンテナをオンにできているからです。
親に、いつもぐいぐい踏み込んでこらえた人は、その環境で生きていくしかないので、自分の心のアンテナをオフにします。
言うなりになることで、とりあえず生きていくことができます。子どもは、親に養育してもらわないと、生きていくことが出来ません。生存戦略なのです。
当然ながら、健全な関係ではないので、正体不明の生きづらさをいつも抱えています。でも、それが当たり前だから、親以外の人にも、同じような依存する関係性を求めます。
それが、生まれてきて最初に学んだ、安心の基準なんです。たとえ、不健全なものであったとしても。人は慣れ親しんだものを無意識に継続しようとします。
しかしながら、適度な距離がない、ということは、自分も他者も、どちらも尊重することができないのです。
他者を尊重することができないのは、自分を尊重する習慣がないことを表しており、自分を大切に扱ったことがないままに生きているから、自分や他者を尊重することが、どういうことか、経験を通して、学ぶことができていないのです。
健全な愛情を与えてもらえず、自己が育たない。心の中はいつも不安定で苦しんでいます。本来の自分でいられないのだから。
自己がない状態で、中身が空っぽ。乾ききった心を埋めるために、無意識に、他者と融合しようとする。自分という輪郭がない。だから「わたしとあなたは違う人間」という意識もない。
それは、親との関係で学ぶことができなかった。自己がないから、当然、自分を適切に守る境界線すら、わからない。
知らないことは実践できません。境界線を築けなかったのは、あなたの親自身も、親(あなたからみた祖父母)との間に、健全な境界線を築くことができなかったからです。世代間連鎖して、代々、先祖の負の連鎖を継承しています。
それを断ち切るにはどうしたらいいか?あなた自身が、あなたを救い出し、自分がまず、幸せに生きることです。
その第一歩となる人は、大変です。異常だと自覚がない親には、常識や正論は通じません。
あなたが本来の正常な道へと、回復を試みると、周りの血縁者は、あらゆる手段を高じて、異常な関係に引き戻そうと躍起になります(無意識に)
親だけでなく、一緒に苦楽を味わったはずの兄弟でさえ、敵に回ることが多いのです。一緒に暮らしてきても、共依存度は、個々異なります。兄弟の魂レベルも事情も違う、といえば、わかりやすいでしょうか。
四面楚歌です。村八分状態です。ひとり孤立します。親だけでなく親戚さえ、敵に回る可能性が高いです。親戚の中に、ひとりでも、親子関係の問題に詳しい人などの理解者がいれば、それだけでかなりラッキーでしょう。
私には、幸いなことに、理解のある夫がいました(不思議なことに夫とは共依存にはなりませんでした)そして、たった一人のカウンセラーが事実を伝え、光の道へと誘いました。
母から物理的に離れ、連絡を絶ち、断固とした態度を取るようにならざるを得ませんでした。最初からそうしたわけではありません。最初は、「話せばわかってもらえる」と盲信していました。お門違いでした。
「私は苦しんできた」と、40数年余りかかって、ようやく小さく一言、絞り出せたのに(どれほど、私が親を脅威の存在だと感じていたかが、おわかり頂けるかと思います)心底不思議そうに「何が?」と聞かれました。
それだけではありませんでした。カウンセリングを受け、洗脳が解け始め、あらゆる違和感を感じ、自分の心のセンサーが蘇り始めた私は、母からの要求に、拒否を示すようになりました。
その時の光景に目を疑いました。
母の頭の中の私は、「なんでも親の言うことをきく娘。私の要求にはいかなることも甘んじて受け入れ喜ぶ娘。」と強固に思い込んで、インプットしているので、拒否する私を、最初から見なかったかのように、スルーしました。
人は、思い込みが高じると、その状態しかみえないのです。
(私が身を粉にして、必死に親の望みを叶え続けたことで、彼女の中の娘像を共同作業で、長い年月をかけて、どんどん強固にするお手伝いをしてしまったことを悟りました。もっと早い段階で、親に反対意見を述べ、失望させておけばよかったと感じました。当時の私にはできませんでしたが…)
親である自分の要求を受け入れない娘は、彼女の頭の中には存在していないから、感知できないのでしょう(受け入れたくないという心理も働いているのでしょうが)
目の前の私を見てはいません。頭の中の、幻想の中の私しか、彼女はずっと見ていなかったのです。娘の拒否さえ、尊重しない相手に、話してわかることは、ひとつもありません。
自分の人生を守る為には、物理的に離れること以外、道はないと悟りました。
あなたは、親の要求を受け入れ続けて、嫌な思いを抱えながら、この先も生きていきたいですか?(受け入れれば、受け入れるほど、親の期待と要求は無限大にエスカレートしていきます)
自分の心を殺しながら生きることは、あなたのやりたいことですか?もし、答えがNoなら、方向転換する時です。
私は、今までの人生の中で、この世の中で一番の権威者で、怖い存在だったのは、自分の親です。
自分の人生のあらゆる選択を、他者基準で選ぶのは、とても悲しいことです(他者の意見を鵜呑みにして、何でも他者のせいにして、自分の人生に対する責任を放棄することの方が、楽だと無意識に利点を感じている人も少なからずいますが。)
いつまでたっても、自分の心は満たされず、生きている実感も、自分に対する自信や、自己肯定感も育たないまま、漂うように、ゾンビのように、心は死んだまま身体だけ生きていくのです。
私の父も母も、生きたゾンビです。本当の自分の心を育てられなかった、可哀想な人です。両親の背景には同情しますが、だからといって、子の人生を破壊していい理由にはなりません。