ここ数日、些細な出来事を通して、過去の抑圧した感情がまた、とめどなく溢れてきています。

 

 きっかけとなる出来事は、単なるダミーで、抑圧してしまっていた感情が、今度こそしっかり感じてほしいと、訴えてきているのだと、今回は、捉え方を変えました。

 

 今までは、ダミーの出来事に対して苛立ちを感じたり、人のせいにしてみたりしていましたが、それでは、その場所から抜け出すことができません。

 

 心の中に、全く抑圧した感情がなく、押し込めている感情が膨れ上がって、悲しみに裏打ちされた怒りの炎の塊が、そこになければ、同じ出来事が起こっても、その出来事を、単なる一つの出来事として、フラットな視点で眺めることができます。

 

 必要以上に、抑えられない怒りの爆発が起こることもありません。一瞬はイラッむかっとしたとしても、その感情を抵抗せず受け入れ味わって、気持ちを切り替えることができるでしょう。

 

 人が、何かの出来事に過剰に反応してしまうのは、心の中にある地雷に触れた時であり、文字通り感情が爆発してしまいます。それを、コントロールしてさらに抑圧することは、さらなる悲劇を後に生みます。

 

 今回は、高校生から大学生の時に経験した出来事が頭に浮かんできて、当時の気持ちを思うと、本当に心底辛かったし、悲しくてたまらなかったのに、しっかりとその感情をリアルタイムに感じることができず、心の奥底に押し込めていました。

 

 感じないように心を麻痺させていたので、母の前では、何事もなかったかのように、ほんのちょっと悲しく思っただけで、上っ面だけの偽物の笑顔で、やり過ごしました。

 

 でも、今回はしっかりと感じると決めました。当時の感情を味わうことは、安心安全な場所や人の前ではなかったから押し込めたのです。機能不全家族の中で生きたACさんは、経験があるでしょう。

 

 丸一日くらい感じきるのに、時間がかかりました。最初は、ダミーの出来事に対して、理由のわからぬ怒りを感じ、自分の気持ちをつらつらと書き出すうちに、悲しみの感情が蘇ってきました。

 

 感じきろうと決めてから、堰を切ったように、涙が後から後から溢れてきました。

 

 何十年も前の事をようやく今、しっかりと感じることができました。何十年も後にならないと、しっかりと感じることができないなんて…と、自分にびっくりしました。

 

 抵抗せず、その時思ったこと、感じた感情を味わい尽くす。しっかりと味わえたら、心がふっと軽くなる瞬間が訪れます。こんなに重たい荷物を何十年と抱えていたんだと、気づきました。

 

 回復の道に入ってから何年も経っているのに、ようやく今感じることが出来ました。心の中に抑圧した感情は、解放するまで、時間がかかるものなのかもしれません。

 

 今冷静にその場面を思い返すと、母娘の役割逆転に加えて、かなり重たいダブルバインド(二重拘束)を、何気ない日常の中で無数に受けていたのだとわかります。

 

 母は完璧主義、清楚でせっかちで料理上手でした。

 

 料理をする時に、手伝って欲しそうな素振りをするので、私は毎回、台所へ向かいます。

 

 手伝おうとすると、いつも決まって母は「あ~そんなに下手な、危なっかしい包丁の持ち方ではダメ。作業をするのが遅すぎる。あ~もう私がした方が早い!あっちに行って!」と言って、私を追い払います。

 

 それなのに、何かあるごとに「こんなに大きくなっているのに、なんにもできないお嬢さんね。たまには料理作ってもらいたいわ~」などと、小言を私に言うのでした。

 

 自分が料理上手で一番上に立つためには、他の人は無能でいなければなりません。それなのに、家の外では、優秀に振る舞えと無限の期待と圧力をかけるのです。

 

 人を見守ったり、教え育てるということが、まったくできない母でした。全ては自分中心に、自分のペースに合わせてくれないと嫌なのです。

 

 母が大切にしていたのは、乾ききった心を埋めてくれる為の、自分の思い通りに動く娘であり、それと同時に、自分の感情を捨て去るゴミ箱として、私を欲していただけでした。

 

 私は、小さい頃から、母の愚痴を常日頃聞いていました。父の愚痴、家族の愚痴、親戚の愚痴、近所の愚痴、テレビに出てくるタレントの愚痴…。

 

 娘に全依存し、親から与えられなかった愛情を、代わりに娘から貪る。

 

 娘の心配をするのは、自分の不安定な心を、娘に投影して見ていただけであり、娘が何を感じているかへの関心は一mmもそこには存在せず、自分の空虚な心を埋めたくて、娘の人生を破壊し続けることが、彼女の無意識が、やりたいことだったのです。

 

 母の悲しみは、娘が創り出したものではありません。それは、母自身が、自分の心と向き合うことであり、健全な慰めは、娘とするのではなく、本来、夫である私の父と支え合い、共有し合うべきことなのです。

 

 娘が人生を投げうってすることではありません。母は、おそらく自己愛性パーソナリティー障害です。自分が一番正しいと強固に思い込んでいます。完璧な自分が何か間違うことなど、彼女の頭の中にはないのです。

 

 そして、家の外では、とても愛想が良く、綺麗で清楚な母を無意識に演じていました。他人にどうみられるか、世間体が気になって仕方ないからです。嫌なことを他人にされたとしても、何も反論せず、涼しい顔をしていました(家では文句の嵐です)

 

 思春期になり、母子が密着していたら、本来は、父親が、母子分離を促す役割を果たすことが、健全な大人の父親なのですが、父もACであり、父は母の愛情をこちらに向けたくて、母と結託して、さらに私を餌食として、母に喜んで差し出していました。

 

 異常としか言いようのない、機能不全家族であり、母娘共依存、過干渉、毒親の中の毒親と言ったところです。

 

 機能不全家族の中で、ひとり孤独に、正体不明の苦しみを抱える。それが、共依存の実態です。親の周りにいる親戚も、大人達も、何一つ、その異常性に気づきません。

 

 「仲が本当に良い親子ね~。子煩悩な素晴らしいお父さんね。綺麗で絵に描いたような綺麗な、理解のあるお母さんね~本当に大切に育てられている、幸せな箱入り娘さんね~」

 

 その言葉をかけられるたびに、表現のしようのない虚しさを感じていたのは、言うまでもありません。私の心は、破壊され続け、悲鳴をあげ続けている。これが実態なのです。

 

 子どもらしくいられなかった過去の時を、取り戻すことはできません。でも、大人になり、理解のある人の元で、安心安全に感情を出せる環境の元では、しっかりと感情を感じきってあげましょう。

 

 そうすれば、抑圧した感情は、喜んで昇華してくれます。それは、いくつになっても、いつからでもできるはずです。心の重荷をひとつひとつ外していきましょう。