自分の心を回復させながら、客観的な視点で、過去を見つめ直す、という作業を時折しています。今回は、「娘だけにしかわからない、母の心の闇を垣間見る瞬間」について、記録します。
自分が母娘共依存、両親過干渉、機能不全家族だと理解してから、人の心の無意識の仕組みを、身をもって経験してきました。
自分が回復していく中で、私の場合は、最愛の夫とカウンセラーさんだけが、唯一の味方でした。今思えば、一緒に何十年と住んできた父も兄も、本当の私の心の苦しみを知ってはいませんでした。
母自身が娘を苦しめてきた、という事実を理解することはなくても、せめて、父や兄には、自分の言葉にできなかった苦しみを、ほんのちょっとでもわかってほしい、そんな気持ちが、回復するとともに、心のどこかで願っていました。
でも、その願いも、決してかなえられることはないのだと、ある時に悟りました。
共依存から回復を始めると、今まで一緒だった人達と、心の成長度合いが不釣り合いになり、上手くいかなくなることがあると、アダルトチルドレンのカウンセリングに尽力した、故・西尾和美さんが本の中で述べていますが、本当にそうだなぁと感じました。
父は、母が娘である私に(私が大人になっても、これまでと変わらずに)べったりしていることはわかっていましたが、それが異常な家族形態であり、娘にとっては、多大なる心の弊害と苦しみを生み出していることまでは、理解できません。自分達が毒親であることすら、夢にも思っていないのですから。
私の両親はあくまでも「完璧な理想的な親」だと思い込んでいるので、自分達に、振り返るべき点があるとは思っていません。
心身共に自立した健全な大人は、自分の欠点や弱みをむやみに隠したりしません。
自分、という核(自己の確立)ができていたら、欠点や弱みも自分の大切な一部であると経験を通して理解できるし、それを見せたからと言って、自分が否定されるとも感じません。
だから、他人の欠点や弱点にも共感できるし、理解できます。
私の両親は、二人とも、欠点や弱点を「恥」だと捉えていたようです。幼少期に、自我の確立に失敗し、肩ひじ張って、周りから後ろ指さされないように、他人に迷惑をかけないように、他人軸で生きてきた人達です。
自分達は必死で生きてきた、という自負があります。でも、だからといって、子の前で、完璧な親であろうと固執する姿勢は、子に苦しみや支配の形を取ります。
「自分達と同じように、完璧であれ」と無意識に強制しているのですから。
無意識のメッセージは、取り繕うことはできません。当人達が、深層心理で感じて思っていることは、言葉に出さなくても、子に伝わります。こうして不幸な子が育っていくことになります。
私は、家庭の中でカウンセラー的存在でした(他にも、ヒーロー、ケアテイカー、仲介・調律役など複数を兼務)圧倒的に多かったのが、母に対して、でした。
四六時中、母の愚痴を聞き、慰め、褒めたたえて、励まし、娘自身の心には1mmも関心を向けませんでした(私にとっては、これらの役割を担うことで、この家庭内で生き延びていくための、無意識の生存戦略です)
しかし、異常な関係性と悟ってから、母のこれまでの言動は、とても巧みに、娘を無意識に操作していた、という点をはっきりと理解できるようになりました。
母の心の闇は、いついかなる時も、自分を慕い、変わらず大好きでいる存在に対してしか、露呈しません。ちょっとでも自分を否定したりする、不信感のある相手には、決して見せません。
母の無意識は、心の闇を見せても大丈夫かどうか、しっかりと見極めた上で、出すのです。だから、一緒に暮らしていても、父や兄は、母の娘に対する、異常な言動を、発見することはできません。
母は精神的に未熟な幼児です。親から与えてもらえなかった愛情に今でも飢えているのです。親からもらえなかったから、子からもらおうと、無意識にします。
それは、賞賛、慰め、励まし、肯定すること、自分に寄り添ってくれること、だけではなく、自分の心の中に蓄積していった毒が腐敗、変性、増殖していくので、その捌け口を、常に求めているのです。
大きくなりすぎた心の闇は、留めておけません。だから子に、「愚痴」という形で、吐露するのでしょう。
しかし、聞かされた方はたまったもんではありません。愚痴を聞かされて育つ子の心には、多大なる悪影響を与えます。精神が不安定になることなどが、実証されてきています。
もう、どれくらい前から、母と娘の役割が逆転していたか、さえわからない幼少期からですが、人間不信の発端となったのは、間違いなく、母の存在です。
今までの愚痴の中で、最も辛かったのは、家族である、私の父や兄(母から見た、夫と血を分けた息子)の、終わりなき罵倒でした。
父への不満の数々、そして、「優等生」として、常に親の為に、全力疾走してきた兄の、張りつめていた心の糸が、ぷつんと切れ、大学に行けなくなり、引きこもりを経て、仕事を始めたものの、紆余曲折経て、仕事を辞めます。この頃には、親へ事前通知をせずに、事後報告するようになっていました。
そんな兄の振る舞いに母は心底、激高していました。要約すると…
「親に感謝の気持ちもない。親への恩返しどころか、仇で返している」
「大学に行かせるために、〇百万もかかった!!!」
「親がどんなに苦労して、子どもを育てているか、ちっともわかっていない」
「この歳で、お芝居を習うなんて、馬鹿げている。頭がおかしい」
「外国に行きたいなんて、どうやって生活するのか。意味がわからない」
母の言う、親への感謝や安心とは「自分の敷いたレールの上を、自分の思い通りに歩ませること」この一言に集約できます。「子には、子にだけの人生がある」と私が反論しても、まったく聞く耳を持ちませんでした。
彼女の頑固さと、思い込みの激しさに、心底、辟易し、絶望しました。
また、苦しみの中から、兄が見つけた、自分の生きがいや情熱に対して、真っ向から批判していました。しかし、その心模様は、兄の前では、全てを内包して理解しているかのように、涼しい顔で母は振る舞い、兄には一言も言いません。
しかし、私の前では、来る日も来る日も無数に、とめどなく、罵倒の数々を披露していました。その形相たるや凄まじく、私は、兄の前にいる母の姿と、自分の前で見せる、母の姿の表裏に、心底、悲しくなり、絶望していました。
大好きな父や兄のことを、ずたずたに切り捨てる母の姿が、とても恐ろしかった。
外で見せる母の姿からは、おそらく、誰も想像つかないはずです。私でさえ、錯覚じゃないかと思いたかった。けれど、これが、母の心の闇なのです。
父に言いたいことがあれば、直接話すべきで、大人の二人の間で、双方の意見や思いを話し合い、解決を図るのが、心身共に自立した大人のやり方です。しかし、二人ともアダルトチルドレンで、精神的幼児の為、それができません。
父は、自分の弱み、感情、思いを表現することは、男として「恥」だと、経験の中で、学習したのでしょう。だから、母の心に寄り添うこと以前に、自分の心に寄り添うことができない、不器用な人でした。
強がって見せることでしか、自分を保てませんでした。そんな父であっても、私には、上手く表現できない気持ちを、言葉少なめではありましたが、垣間見せていました。父も、可哀想な人です。
しかし、これ以上、自分の心を殺し続けることは、もう私にはできませんし、したくもありません。今後、会わないという選択をしたことを、私は後悔していません。
自分の人生を早く取り戻して、楽しく毎日を生きたい。ただ、それだけです。
肝心なことは、親には健全な愛をもらえず、信頼することができなかったけれど、世の中には、健全な愛を持って、信頼できる人が、たくさんいる、ということ。それに気づいていきたい。
生きていく最初に接する親への信頼は、獲得できなかったとしても、それをただ嘆いて終わるのではなく、世界には、たくさんの愛が、本当は満ちていて、自由にありのままに羽ばたいて生きていけたら、結果的に私は満足できます。
親の存在など忘れるほど、自分のしたいことに熱中する、そんな人生を歩みたいので、思考癖が時として邪魔してきても、嬉しい、楽しい、幸せ、感謝、リラックス、そんな体感したい感情にフォーカスして、行動するのです。